私の父が亡くなってもうすぐ20年になろうとしています。
早いものです。下の娘がおなかにいる時でした。
私の父は無口でおだやかでまじめな名古屋市交通局勤めの公務員でした。
怒られることもなかったけれど、いまどきのお父さんのように子どもと一緒に遊んでくれることもなく仕事一筋な人でした。夏、台風が来ようものなら市バス車庫に水が入ると次の朝運行できなくなるからと言って一番風がひどく一番家にいてほしい夜中にいつも飛び出していく人でした。
そんな父でしたが私に一度だけ親としてあるべき姿を強烈に見せてくれた出来事がありました。
私が23歳だったころ、4年もつきあっていたカレにふられてしまいました。。。。。。
私はもちろん結婚できたらいいなぁ。。。と夢見る少女でしたが、年ごろの娘の親、特に母親からはそろそろ?。。。。いつなの?。。。。。とプレッシャーをかけられその都度、気まずい思いをしていたころで、夢見る少女は煮え切らないカレをけなげにかばって(笑)母とよく口論もしたものでした。
そんなけなげな夢見る少女が最後になって裏切られるような形で。。。。
自分で言うのもアレなんですが。。。。。まぁ。。。。。。友人らまで巻き込みズタズタな状態で傷つきまして(今となればそれも青春なんですがね)まぁ。。。。みっともない形で終わってしまったわけです。
私としてはふられたカレとの直接対決を終え心身ともヘトヘトなところにまだ大きな仕事が残っていました。
もうすぐカレをつれて結婚のあいさつにやってくるだろうとひたすら期待をして待っていた父親と母親に「ことの顛末」を報告しなければいけなかったのです。
いつまでも黙っているわけにいかず、意を決してある日の夕食後、父と母を前に居間でしゃべりはじめました。
自分はこのまま続けたかったけれど、カレと別れてしまったこと。
お母さんが今まで自分のことを心配してくれていたのに、その都度反発して、でも結局こんな結果になってしまったこと。
でも自分なりにいろいろ考えて最後に自分で納得して結論を出したこと。
こんなことになってしまったいきさつを
黙って、難しい顔をして両親は聞いていました。
どんなことを言われるか怖くてまともに顔をみることができず
ほとんどうつむいてとつとつと話しつづけていたことを覚えています。
期待していたのにがっかりさせて申し訳なく。。。。。
そして親にこんな自分の姿を見せることが
みじめでした。
ひとしきり話終えこわごわ親の顔を下からちらっと見ました。。。。。
その時
それまで何も言わず黙って話を聞いていた父親が。。。。。。
大きくうなずいて静かに一言いいました。
お前が正しい。。
お前のいっとることが正しい。おまえは悪くない。
だからもう忘れろ。ええか。。。
父はわたしのとった行動を考え方をすべてを理解してくれ、受け入れていくれたのです。
母も私を責めるようなことは何もいいませんでした。
父と母の理解のおかげで私はすぐに次の一歩を踏み出す心の準備ができたのです。
私ぜったい幸せになるから。
その日はそれで終了でした。
家族が守ってくれる。 親ってありがたい。
両親はいつも私の味方なんだ。。。
そう思った出来事でした。