好きなだけ富を創り出してください。

物質的な物であれ、非物質的なものであれ、あらゆる願望をかなえてください。

そして、創り出した富は、使ってください。

気前良く使い、その富を分け与え、人に施してください。

あなたの子供達、家族、親戚、友人、社会、世の中に与えてあげるのです。


富は宇宙のもので、私達のものではありません。私たち自身がこの宇宙の富の一部なのです。


わたしたちは特権を与えられた子供であり、宇宙はあなたに賞金を与えてくれたのです。

私たちに必要なのは、この宇宙の豊かさに関心を払うことだけです。

そうすれば、わたしたちは豊かになれるでしょう。


『自分が関心をいだいた場所に、あなたはいるのです。

実際、あなたの関心が、今のあなたをつくったのです。

関心が散漫であれば、あなたも散漫な人間になる。

関心が過去にあるなら、あなた自身も過去にいるのです。

今、、この瞬間に関心をいだいているとき、あなたは神と共にいる。神はあなたの中にいるのだ』


今、自分が実行していることだけに意識を集中してください。

神はいたるところにいます。

意識的に関心を払い、その神を迎え入れればいいのです。

あらゆる多様性の背後には統一意識が存在している事に気づきなさい。

統一意識とは、全体を分離したり、断片にしてしまう幻想のマスクを引きはがす、悟りの状態のことです。

あらゆるものは別々のように見えても、その背後には全体である、統一された場が存在しています。

この場では、観察されるものと観察するものが一体になっています。


人を愛したり、星をじっと見つめたり、浜辺を歩いたり、音楽に耳を傾けたり、踊ったり、詩を読んだり、祈ったり、瞑想で沈黙したりしている瞬間、わたしたちは統一意識を味わっています。


意識が統一された瞬間、時間という障害はさっと取り除かれ、永遠という遊び場のなかに入っていくことができます。

この場所にたどり着いた瞬間、ひとはふとこんな言葉をもらすものです。


『この山は息をのむほど美しい。時間が止まってしまったようだ』


外見はさまざまに見えても、あなたも、わたしも、山も、他のすべてのものも同じ存在であることに、知覚の非常に深い層で、わたしたちは気づいています。

これが愛の状態です。


それはたんにそう感じているものではなく、あらゆる創造の中心にある究極の真理なのです。

「善行、悪行といった考えを超越したところに、ひとつの場がある。

わたしがあなたと出会うのはその場所だろう」


瞑想の練習を通して超越体験をすると、いかなることにも惑わされない、心の安定と平和が手に入り、心が穏やかになるのを感じます。


瞑想中の沈黙は、いかなる活動によっても妨げられることはありません。

私が「自己」を知覚し、気づきを得る事を外部のいかなるものも損なうことは出来ません。


時間を超越した知覚は、時間に束縛された知覚とは対立するものです。

セルフイイメージを守るために、本当の自己を投げ捨ててしまった瞬間に現れてくるのが、時間に束縛された知覚です。


セルフイイメージとは社会的な仮面のことで、本来の自分を隠すうわべの飾りのことです。

時間に束縛された知覚のままでいると、人間のふるまいは過去や未来に対する期待や不安にたえず翻弄されてしまい、罪の意識や悲しみにさいなまれてしまいます。

時間を超越した知覚が、本来の 「自己」 の知覚です。


『ヴェーダ』の賢者は次のように言っています。


「私が過去に不安をいだいたり未来を恐れたりしないのは、今、この一瞬に意識を集中しているからである。

今の意識を集中しているとき、わたし、そしてあらゆる状況が、適切な反応を示してくれる」


本当の自己は思考の領域ではなく、思考と思考のあいだの沈黙の領域に存在しています。

このすき間にいる間、宇宙の魂がわたしたちにそっとささやいてくれるのです。

このささやきが直観と呼ばれているものです。

時間に束縛された知覚は知性のなかにあり、損得勘定をしています。

時間を超越した知覚は、心の中にあり、感じる物なのです。

【自分を助けてくれるすべての人に、心からの感謝の気持ちを表す】


心から感謝すること。

自分を助けてくれる全ての人に感謝の気持ちを示すのです。

感謝する「ふり」は、絶対にいけません。

そして、心から相手に感謝の念をいだいたなら、きちんとその気持ちを表現することです。

感謝の気持ちを表現することが、すでに受け取ったものよりはるかに多くのものを生み出してくれる強い力となります。