母の死を受け入れられない父
一昨年前から誤嚥性肺炎を繰り返し
一度も退院できないまま
今年の1月に母は亡くなりました
とても仲の良かった両親だったので
コロナの影響でお見舞いの
回数と人数が制限されて淋しそうでした
母は晩年
クモ膜下出血
左大腿骨骨折
右大腿骨骨折
右肩骨折
誤嚥性肺炎
と入院退院が続きました
コロナ禍の前は
入院すると毎日顔を見に行っていたので
お見舞いも自由にできないのが
もどかしかったですね~
父は母に会えないとわかっていても
洗濯物をとりに
まめに病院に足を運んでいました
看取ることができなかった虚しさ
夜中 突然の病院からの電話で
母が亡くなったことを知らされ
看取ることができなかった
初ひ孫に会わせてやれなかった
家に帰してあげられなかった
そんな無念さが
父を襲いました
実は母を家で介護するために
父は自宅をリフォームしていたのです
でも間に合わず
結局 リフォームのために
至急 持ち物の整理をしなければならない事になり
遺品整理を
母の死を受け入れる間もなく
始めなければならなくなってしまったのです
父が壊れていくのが
手に取るようにわかりました
もともと多趣味で
カラオケやダンスを楽しんでいた父が
母が入院してからは
一切遊びに出かけることがなくなり
亡くなってからはなおさらです
買い物に出かけるくらいで
友だちからの誘いも
理由をつけて断るしまつ
うつ状態がつづき
病院に連れて行こうかと思うほどでした
依存してくる父
続いてやってきたのが
私たち夫婦への依存です
頼ってくるのではなく
何から何まで依存してくるのです
母の入院中からその傾向があったのですが
亡くなってから
度を超すようになり
父の顔を見るのも嫌になるくらいでした
今もまだつづいていますが
お盆のころに
父がコロナにかかり
感染予防のために
顔を合わせない様にしていたので
多少ましに!
顔を見れない
食事も一緒に摂れない
その寂しさを痛感したのだと思います
やっと立ち直りが見えてきた
9月に入り
やっと少し立ち直りが見えてきました!
心配して電話をくれる
友人の励ましもあり
やっと新しい歌を覚えようという意欲がわいてきたようです
私に
「この歌の歌詞を調べてくれるか」
と言ってきました
元気だったころは
人が何してようがお構いなしに
歌詞をしらべてくれ
と言ってきた父が
復活してきました!
まだ積極な復活ではないらしいのですが
グズグズしていてもいけないと
思い始めたらしいです
初ひ孫の存在も一躍かってくれています

私はと言うと
母は長いこと入院していたので
未だに亡くなった実感がないのです
まだ入院中のような気がして
大きな悲しみ襲われていません
葬儀の準備に続いて
納骨
新盆
と母のための法要は行っているのに
それでも実感がわかない自分が
いつ悲しみに襲われるのかと
びくびくしています
父の立ち直りのステップは見てきたけれど
自分はどう進むのだろう
父に翻弄され
悲しむ間がなかったのも事実です
今はただがむしゃらに
編み物教室を起動にのせるために活動しています