このお話は、私の体験談です。
中学生だった時、いつものように学校から帰る時のことでした。
時間は3時ごろで明るい日差しの中でした。
公園を通り坂を駆け上がり家の近くに差し掛かると、公園を見下ろすような場所があるのですが
そこから公園の方を見て立っている、背広姿のお爺さんがいることに気がつきました。
誰かに似ているなと思い。一二歩歩いた時、母方のおじいちゃんである事がわかり
手を振りました。
距離は20メートルほど離れています。
おじいちゃんは、にこと笑って左手を軽く上げました。
そこから家までは、1分とかからないのでカバンを置いてこようと家に戻りました。
ところが家では母が泣いていました。
どうしたの、下の公園のとこでおじいちゃんと会ったよと話すと、母はおじいちゃんが亡くなったことを伝えてきました。
え、いたよそこにと言って、母の手を強引に引っ張り公園を見下ろす場所に連れて行きましたが、おじいちゃんの姿はありませんでした。
母の時計がスルリと落ちました、金属バンドが切断されたよにちぎれていました。
母はきっと最後にあなたの顔が見たくて、遠くから来てくれたんだろうと話してくれました。
そんなこと、できるものなのかなあと不思議な感覚でした。
あと、あの時家に戻らずおじいちゃんに近づいていたらどうなったのかと考えました。
お葬式で顔を見た時も、やはりあの時公園の前にいたのはおじいちゃんだと確信しました。
その後も、何人かの親族を亡くしましたが、亡くした前後に故人そっくりの人を通り過ぎるバスの中から見つめられたり、電車線路を挟んだ向かい側のホームから見つめられたりしますが、まさかここにいるわけないと思い手を振ったりはしませんでした。
中学の頃の不思議な体験から
まあ、親族で小さい時に可愛がってもらって、顔をよく知っている人だけですが死後にそのような形で会いにくるのかな、死後には、みなさんそうゆう事ができるんだなと今では思っています。
その後も知人によく似た人をあらぬ場所で見かけると、知人の近くにいる人に安否を聞くようになりました。
もう一つの世界は、会いたいな、顔見たいなと思えば、願いはかなうところなんですね。