1991年のセリエAのシーズン。

私の所属するレッジアーナは、年間を通して1位になり、優勝を決定するプレーオフに進みました。

上位5チームが参加し、1位のレッジアーナは残り4チームの勝者と決勝戦のみ戦います。

 

プレーオフに向けて、試合3日前からレッジオエミリアの山に入り強化合宿を行いました。

普段は週3日で1回2時間程度のペースで練習していたのが、この週に限り、連日の練習となり、合宿に入ってからは午前午後と2回の練習。

試合当日の午前中まで練習したんですから、急にどうしちゃったのでしょう。

私自身は日本でも毎日練習するのが当たり前。

イタリアに来てからもチーム練習の無い日はチームメートでイタリア代表のピッポと一緒に自主トレしていたので、なんてことありませんでしたが、選手たちの多くは疲労困憊です。

しかも、試合会場のリミニは海の近くで気温が高く、涼しい山とは温度差がかなりありました。

しかも、ホテルの食事でお腹を壊す選手続出!

マンマミーア!

なんてことでしょう。

全て裏目に出てしまいます。

 

決勝の相手は、サッサリ、ラツィオを破って勝ち進んだミランでした。

ミランには昨年までレッジアーナにいたモラーチェがいます。

モラーチェはイタリア代表のエースストライカー、テレビのサッカー番組にもレギュラーで出演している国民的な人気選手です。

レッジアーナを辞める際、

「私がいなくなったらレッジアーナは勝てなくなる」

と暴言を吐いて辞めたという事で、皆

「モラーチェのいるミランだけには負けられない」

と熱くなっていました。

 

 

この試合、レッジアーナは本来MFでプレーする選手をFWに起用したため、

私ともう一人のCFの選手は試合に出られませんでした。

1点をレッジアーナが先制したものの、

選手の動きは重く、

レッジアーナにとっては憎っくきモラーチェにワンチャンスを決められ、同点に追いつかれてしまいます。

延長戦でも決着がつかず、

PK戦に。

レッジアーナはなんと、3人目まで蹴ってすべて失敗。

一方のミランは3人全員が決めて、あっけない幕切れとなってしまいました。

 

これまで、長い間厳しいリーグを戦い、やっとの思いで1位になったというのに、

このたった1試合で、しかもPK戦で、リーグ優勝を逃してしまったのです。

 

どうもこのプレーオフ制、

いつもレッジアーナが優勝してしまうので、他のチームにチャンスを与えるためにこの年導入した制度で、

次の年には廃止になってしまうのですから、なんともイタリアらしいと言うか、気まぐれさに呆れてしまいます。

 

 

これまでの試合、時間は短くても出場機会はもらえていた私は、ずっと途中交替で出られるものと思い込み、

(早く出して!)

とジリジリしながら待ち構えていたのに、

むなしく終了の笛が鳴ってしまった。

 

なぜこの最後の最後、決勝で、体調の良かった私を使ってくれなかったんだろう…

チャンスさえくれれば活躍できたのに…

と思ってしまう。

悔しくて悔しくて、

気持ちの持っていき場がありません。