週に2,3回イタリア語学校にも通っていました。

学校の費用はすべてチームが出してくれていたんですよ。

 

学校が始まるのは夕方の4時半から。

練習がある日は、5時半に帰ってきて、それから7時から始まる練習に行き、

練習の無いない日は、夜7時まで学校にいました。

 

先生は40歳くらいで、とてもやさしい金髪の美人。

 

最初の頃は、説明するイタリア語もわからないから苦労しました。

先生が、

「カオリは最初、とても無口なんだと思っていたら、イタリア語が分からないだけだったのね。」

と言っていましたよ。

 

生徒は日によって変わるけど、だいたい2人から6人で、アフリカ人がほとんど。

他には、カナダ人、ブラジル人、ユーゴスラビア人(今のスロベニア)の兄妹もいました。

色々な国の話が聞けて、とても面白かったです。

 

アルジェリア人の女の子がいて、その子の話では、

女の人は肌を見せて外に出てはいけなくって、全て覆い隠すような服を着ている、という事でした。

女の人はもちろん、男の人もこの様な事は良くないと思っているけど、なかなか変えられないらしい。

 

そして、当時はアルジェリア国内で戦争が起こっていて、その子の家の前でも銃撃戦があったそうです。

その時、その子はベッドの影に隠れながら必死に外の様子を見ていたらしいのですが、

「危ないから窓に近づくな!」

とおじいさんにひどく怒られたと言っていました。

 

ユーゴスラビアもちょうど戦争中でした。

ユーゴスラビアの兄妹は、隣国イタリアに逃げてきていたのです。

 

戦争なんて遠い国の出来事で、他人事のように感じていた私にとって、

直接戦争を体験した人たちの話は、とても衝撃的でした。

 

 

宗教の話も出ました。

イスラム教を信仰している人とキリスト教を信仰している人がいました。

イスラム教の人たちは、ラマダンという1か月断食する習慣がある事もこの時学びました。

 

 

「それで、カオリは何を信仰しているの?」

と聞かれ、

「何もない。」

と答えると、

突然アルジェリアの女の子がブルブルと震えだし、後ずさり…。

私を悪魔でも見るような目つきで怯えだしました。

 

何?その反応!

 

先生が慌てて

「日本って国がそうなのよ。信仰を持たない人が多くて、カオリが特別じゃないのよ。ねぇ、そうでしょカオリ?」

「そうそう、日本ではあたりまえ。」

と言うと、

「エー、そうなのぉ?」

と少し落ち着きを取り戻していましたが、

どうしてあんな反応だったのか?

今でも謎です。

 

 

 

学校の仲間でフィレンツェに観光に行ったりもしたし、ディスコ(ダンスホール)にも行きました。

アフリカ系のディスコが、レジオエミリアにオープンしたばかりだったので、そこに行ったのですが、

チームメートに連れて来られたのも同じ場所。

私は中国とアフリカのディスコには行ったけど、普通の?イタリアのディスコに行った事がない(笑)

 

先生の家でりんごケーキの作り方を教わった事もあったなぁ。

すごく美味しかったので、レシピを覚えてイタリアにいる間、何度も焼きました。

ただ、量りが無かったので、粉をコーヒーを飲んでいたボウルに摺り切りで

「このくらいだったな」って量っていたんです。

チームメートには好評で、

「カオリのケーキは期待以上!」

とお褒めの言葉をいただきました。

日本に帰ってきてからも何度か焼いたのですが、

どうもイタリアで焼いていた程に美味しく出来ないのです。

オーブンが違うからなのか…

それとも、あのコーヒーボウルがないからなのか…。