とうとう!?やっと!?
1991年11月、女子サッカー初のワールドカップが中国で開催されたのです。
いつかいつかと長い間待ちわび、ギリギリで出場権を獲得して、やっとの思いで出られたワールドカップ。
夢の舞台!
のハズでした。
書かなきゃダメかなぁ。
筆が進まないなぁ…。
参加国は、
Aグループ中国、ノルウェー、デンマーク、ニュージーランド、
Bグループが日本、ブラジル、スェーデン、アメリカ、
Cグループが台湾、イタリア、ドイツ、ナイジェリア
の12チームです。
中国の広州、番禺、佛山、江門、中山の5か所に分散して行われました。
観客数は1試合平均約2万人。
広州のまちは、女子サッカー一色になり、テレビをつけても女子サッカーが取り上げられて、中国の女子サッカー人気はすごい!
と感じました。
だけど、実際やっていた私たちは、他の会場のチームと接触はほとんどなし。
せっかくのワールドカップなのに、同じグループの4チームだけでやっていた感じ。
イタリアチームには、レッジアーナで一緒に練習した人たちがたくさんいたので、
「ワールドカップで会おう!」
と言い合ってきたのに、全くかすりも出来ませんでした。
夜のスポーツニュースを見て、他会場の様子を知ることができるっていうくらい。
つまんないよ~。
選手同士の交流が楽しいのにねぇ。
日本の初戦はブラジル。
結果は0-1で負け。
相手の得点は、ゴール前の混戦で、入ったか入らないか、私のポジションからでは、ボールは全く見えなかったんです。
ゴール近くで守っていた日本の選手達は、
「入ってない!」
って猛アピールをしていました。
でも、判定が覆ることはありません。
夜のニュースで、問題のゴールシーンを見ると、
ボールの裏には、ゴールキーパーのちゃー坊さんが横たわっていて、
ゴールラインを割っているようにはとても見えませんでした。
みんなテレビに向かって叫びました。
「ほらっ!入ってない!」
あの頃にVARがあったらよかったのになぁ。
私は最大のチャンスを決められなかった…。
ニアで、たかっぺのセンタリングに合わせたヘディングは、
当たった瞬間、
やったぁ!
と思ったのに、バーに弾かれてしまった。
夜のニュースを見て
「決めてよ~」
と皆に責められたのは、今でも思い出すと心が痛みます。
第2戦のスウェーデン戦。
後のチームメートになるアンネリがいました。
結果はなんと0-8。
試合前にこんな結果は予想もしていませんでした。
もっとやれると思っていたんです。
試合前の入場する時、試合に出る両チームの選手が並ぶんですけど、身長差が半端ない。
スウェーデンの一番小さい選手が日本の一番大きい選手よりも背が高かったんですから。
おー、と見上げてしまいました。
ハイボールにずいぶん苦しめられました。
ずっとあきらめずにプレーを続けていましたが、
8点目を入れられた瞬間、
突如襲ってきた絶望感。
大観衆の前で、コテンパンに打ちのめされて、とてもみじめ。
呆然と立ち尽くしました。
現実は厳しい…。
こんな思いをする為に、今まで頑張ってきたのか…。
今でもこのシーンを思い出せば、涙を出す事が出来ますよ。
日本でテレビ放送なかったから、注目されてなかったのがまだ救いかな。
今のなでしこは、
「決勝トーナメント1回戦で敗退」
とかって言われちゃうでしょ。
決勝トーナメントに出られるって事がどんなに凄い事か!
わかってないよね。
最後のアメリカ戦。
結果は0-3で負け。
結局、アメリカが優勝しました。
私にユニフォームをくれたエープリルがキャプテンでした。
スターの階段を登り始めたミアハムもいたし、
『サイボーグ』ことエイカーズは10点入れて得点王。
最優秀選手はジェニングスです。
2位がノルウェーで
3位がスウェーデンでした。
ノルウェーのメダレンが優秀選手に選ばれました。
後に日本の日興証券でプレーします。
イタリアは決勝トーナメントでノルウェーに惜しくも延長戦で敗れてしまいました。
開催国の中国は、初戦でノルウェーに4-0で勝って、優勝しちゃうんじゃないの?
と思われましたが、決勝トーナメントでスウェーデンに惜敗してしまいました。
でも、私たちの結果が悪かったため日本では全く報道されず、
女子サッカーはまた世の中から忘れさられていったのです。
さぁ、気持ちを切り替えるぞ、
私はこれからイタリアだ!