アルゼンチンから帰国後、スタジオ収録がありました。

司会は鴻上尚史さんとつみきみほさん。

ゲストがなんと日本人プロ第一号!

ドイツのブンデスリーガで優勝もし、しかも常にレギュラーとして大活躍した奥寺康彦さんでした。

 私も海外でやろうと決意していましたから、奥寺さんがゲストと聞いた時には(すごいぞ!やったー!)と喜んでいたのです。

 

 当日、私は番組後半に呼ばれるまで待っていてくださいと言われ、控室のモニターで番組の様子を見ていました。

鴻上さんが

「男子サッカーからみると女子サッカーってどうなんですか?」

と奥寺さんに聞きました。

「失礼な言い方かもしれないけど、サッカーは男のスポーツだという気がするんですよね。」

と発言。

 

 この言葉を聞いた時の私の絶望感…。

やっとワールドカップ出場を決めて、女子サッカーが世に認められたと思っていた矢先。

ぜんぜん認められてなんていなかったんだ。

何にも変わってなかったんだ。

サッカーと出会ってから、

面白さ、

奥深さ、

魅力に憑りつかれて、

ただ、好きで、

大好きで、

夢中になって、毎日ボールを蹴ってきただけ。

ただ、それだけなのに…

常にこの壁を感じてきた。

そう、女がサッカーをやるなんて認めないという空気だったんだ。

この時、初めて言葉ではっきりと突き付けられたのです。

しかも全国放送のテレビで。

まだまだ女子サッカーが認められるまでは先は遠い道程だと思い知らされました。

 

その後に、女子サッカーと男子サッカーの違いを聞かれて、

「ボールが当たって痛いっとかいうのは女子の方が多いと思いますよ。」

なんて言ってたけど、それを聞いて、あぁ、奥寺さんは女子サッカーを知らないだけかもしれない。

と思いました。

だって、ボールが当たって「痛いっ」なんて言ってるわけないでしょ。

相手がクリアしようとしているボールにだって、頭から突っ込みますよ(笑)

小学生の女の子か、どこかのお嬢様がやっているサッカーと勘違いしているのかもしれない。

やっとマスコミも女子サッカーを扱ってくれるようになったばかり。

知らなくて当たり前なのだ。

 

 VTRの中で、おばあちゃんという意味のあだ名のノーナが、女子サッカーへの熱い思いを語ってくれていました。

「アルゼンチンでは、男子サッカーがすごい人気があるから、男たちは、サッカーは女がやるものじゃないって、全く認めてくれない。サッカー協会も女子サッカーを認めてくれないから代表チームもない。」

「スポーツは、それを愛する人たちで楽しめば良いのにね。」

「私には心残りがある。それは愛するサッカーで生活をすることが出来なかった事。あなたは頑張ってね。」

と。

私は、その言葉を聞いた時、高校生の頃の出来事を思い出していました。

学校で進路アンケートを書いた時、将来なりたい職業の欄に、サッカー選手と書いたんです。

大まじめだったし、よくよく考えたうえです。

他にやりたい事が全く思い浮かばなかったしね。

そしたら、先生から呼び出されて、

「サッカー選手という職業はないから書き直しなさい」

ってアンケートを突き返されたんです。

まだ、Jリーグも出来る前の時代でした。

でも奥寺さんは既にプロでやっていたのにね。先生、奥寺さんの事を知らなかったのかな。

よーし、私は本当にサッカーで生活できる選手になってやる~。

先生を見返してやるぞ~って思って、

「シー(イエス)」

ってノーナに誓ったのです。

それを聞いたノーナは嬉しそうに何度もうなずいていました。

 

 勘違いされる方がいると困るので、念のため言っておきますが、私は今でも奥寺選手に対する尊敬の念は変わることはありません。

奥寺さんは正直なだけなんだと思っています。

まぁ、本音だからこそ、ショックも大きいんですけどね~。

 

 

 後日談です。

2003年アメリカで女子の第4回目のワールドカップが行われました。

私は選手を引退して指導者として勉強中の身でしたが、サッカー協会のTSG(テクニカルスタディグループ)の一員として、大会の視察に来ていました。

空き時間に、日本代表が宿泊しているホテルに遊びに行くと、会う人会う人、

「アルゼンチンの選手が、長峯さんを探しているよ」

って言うんです。

あー、あの時のチームの人が代表チームにいるんだ!と思いました。

私がアルゼンチンを訪れてから12年が過ぎていました。

代表チームが編成されて、ワールドカップに出場している。

それだけでも私には感慨深い。

黒人のアマーリアは、年齢的にありえないなぁ。

カリーナか?

アリーシアか?

日本の第1戦の相手がアルゼンチンでした。

観客席に座り、パンフレットを開いて、はやる気持ちを抑えてアルゼンチンのメンバーを一人一人見ていきます。

知っている名前ないなぁ…。

 

 FWの最後にシャニーニャの名前が!

あのちっちゃかったシャニーニャだ!

お別れの時、自分の練習風景のビデオをくれたシャニーニャだ。

いつも私の横にピッタリくっついて、私を見上げていた目がキラキラ輝いていたのが忘れられない。

試合は6-0で日本の勝ち。

アルゼンチンチームの監督が、日本リーグの鈴与でコーチをしていた川上さんだったんです。

私も大変お世話になりました。

川上さんと言っても、アルゼンチン育ちで、片言の日本語を話します。

アルゼンチンでプロ選手になり、男子の日本リーグ、全日空や清水エスパルスの選手としてプレーした後、女子サッカーのコーチをしていました。

鈴与を辞めた後、アルゼンチンに帰って、たい焼き屋をやるって言っていたのに、いつの間にか、代表の監督になってた(すごいっ!)

 

 アルゼンチンチームが泊っているホテルの、川上さんの部屋へ遊びに行って、すっかり大きくなったシャニーニャとも再会!

キラキラ光る瞳はちっとも変ってなかった。

川上さんの通訳でたっぷり話が出来たのです。

なんと不思議な縁なのでしょう。

 

 

 それから8年後に、2011年第8回ドイツワールドカップで澤ちゃんたちが優勝するんです。

本当に自分が生きている間にこんな瞬間が訪れるなんて思ってもいなかった。

感動なんてもんじゃない。

夢みたいだと思いました。

女子サッカーの魅力を伝えてくれて、

女子サッカーの価値を高めてくれて、

本当にありがとう!!

これで、サッカーは男だけのスポーツではなくなったかな。

 

この『ありがとう』は、

優勝したメンバー、スタッフはもちろん、

私より前からやっていた先輩方、

優勝まで繋いだ人たち、

関わってくれた女子サッカー関係者。

女子サッカーのために動いてくれた、たくさんの男性にも伝えたいのです。