ワールドカップ出場を決めたとたん、男子でさえ出場した事のないワールドカップに、先に女子が出場を決めたと言って、急にマスコミが女子サッカーを取り上げはじめました。

私のところへも密着取材等が来ました。

家や学校にもカメラが来ました。

NHKのトーク番組に出た時には、女子サッカーをPRしたいのに、どうでもいい、関係のない質問ばかり。がっかりしました。

 

 なぜか洗顔フォームのコマーシャルを撮りにサイパンまで行ったりもしました。

この時は、私と同じタイミングで新光精工を辞めた、はぎさんと一緒に行けたので心強かった。

30秒そこそこのコマーシャルを作るのに、タレントやら、カメラマンやら、照明やら、大勢のスタッフが一緒に行くのです。

私たちは主役でなかったので、出番も少なく、自由時間がありました。

2人で南の島を散策したり、アイスクリームを食べたりして満喫しちゃった。良かったですよ~。

 

 

 その次は、地球ジグザグという番組のスタッフから突然うちに電話が来ます。

「海外に日本人が出向いていって現地で一週間くらい過ごすという番組をやっていて、アルゼンチンに行って女子サッカーを撮りたいが、アルゼンチンへ行ってみませんか?」

という話でした。

ただでさえ、会社は遠征で休みがちでしたから、また休みをもらうのは少々心苦しさもありましたが、社長の近江さんに話をすると、快くOKしてくれました。

 日曜日の午前にやっているというその番組を初めて観てみます。その回は気球に乗るという企画でした。どこの国かは覚えていませんが、女の子がやたら泣いています。(番組的には泣きながら必死にやっているというのが良いのだろうけど、サッカーで行って、私が泣くことはまず、ないなぁ)と、たかをくくっていました。

「女子サッカーでアルゼンチンは聞いたことがないけど、なんでアルゼンチンなんですか?」

と聞くと、

「1つの国でいつも2本撮っているんですよ。今回はアルゼンチンでタンゴを撮るので、そのままアルゼンチンでもう1本、何を撮ろうかということになり、アルゼンチンと言えばタンゴとサッカー。男子サッカーではありふれているので、それなら女子サッカーで行こうとなった。」

との事でした。

「アルゼンチンで何かやりたいことある?」

と聞かれたので、間髪を入れず、

「マラドーナに会いたい!」

と即答しました。

もしや、マラドーナに会えるのでは?とドキドキしていましたが、後日

「マラドーナに会うのは無理だった。」

と返事があり、がっかりしました。(マラドーナとはサッカー界のスーパースターです)

 マラドーナ大好きで、ビデオを何度も何度も擦り切れるほど繰り返し見ては、マラドーナのドリブルのマネをして私はドリブルを学んだのです。

生マラドーナに会いたかったなぁ。

 

 アルゼンチン出発前日に、我が家にスタッフ方が大きな荷物を持って来ます。

大きなビデオカメラも託されます。

「これを私が運ぶんですか?」

「重くて大変ですが、よろしくお願いします。」

「何人くらいで行くのですか?」

「向こうでスタッフが待っていますから、一人で行ってきてください。」

 

「えーっ一人で!?」

 

サイパンへ行ったときのイメージが強かったので、大勢のスタッフと一緒に行けるものと思っていましたが、そうではなかった。

持ってきた荷物の重くて大きいこと。(自分の荷物が何も持てないよ~)

慌てて準備していた荷物から外せるものを減らしました。

 

 海外へは何度も行って慣れていますが、いつも人の後をくっついて行くだけでしたからねぇ、いざ何でも自分ひとりでやるとなると不安になります。

しかもアメリカのダラスで1泊し、飛行機の乗り換えもあると言うのです。

不安はいっぱいでしたが、なんとかなるさと大きな荷物を抱え、翌朝一人でアルゼンチンへと旅立ったのです。

 

 アメリカのダラスに着きました。

荷物を受け取り、流れに乗って移動しますが、流れがバラバラになった時、どっちに進めば良いのかわからなくなりました。

ホテルは空港の目の前なのですぐに分かるという事だったのですが、まずホテルの行き方を人に聞こうと思いました。

空港の職員らしき人を捜しましたが、それらしき人が見つかりません。

空港内に歩いている人に声をかけるのですが、私が英語をしゃべれないとわかると、皆、首を横に振り、誰も足を止めて私の話を聞いてくれる人がいません。

声をかけられないようにと、私を避けて大回りするのです。

皆すごく急いでいる風です。

 

 外に出ればホテルの場所が分かるかと思い、空港の外に出てみました。

空港の外は、近未来都市かと思われるような立体交差の道路が幾重にも重なっています。

その奥に私が泊まるホテルがそびえ建っていました。

なんか過去からタイムスリップしたような錯覚に陥ります。

荷物を抱えてあそこまで歩こう!と決意しますが、あれっ?歩道がない。

車がすごいスピードで走っている道しかなく、歩いて行けるような道は見つかりません。(いったいどうやってあそこまで行けば良いのだろう…)

行き交う人にホテルの名前を言って、何人もの人に道を尋ねるのですが、本当にアメリカって誰も立ち止まってくれない。

こんなに困っている私を助けてくれようとする人がいないんです。

本当に呆れてしまいます。

こんな時、日本だったら言葉が通じなくったってきっと助けてくれる人がいるでしょ。

 

バスも見つけられないし、全く手がかりを見つけられないままどのくらいの時間が過ぎたのでしょう。

大きな荷物を抱えながら途方に暮れていました。

でもこのままこうしていても解決しない。

そうだ、しゃべらずに、ホテルのパンフレットを見せよう!

もう一度通りがかりの人にアタックしはじめました。

すると何人目だったか、やっと立ち止まって道を教えてくれる人が現れたのです。

私にとって本当に救世主の様でした。

 なんと、何もないと思っていた空港の壁が『開け~ゴマ!』じゃないけど、ボタンがあったのかなぁ?ジャ、ジャーンと左右に開いて、その奥に電車のホームがあるじゃぁありませんか。

その電車に乗って何駅目かがそのホテルだったんです。

何度も何度も救世主に「サンキュー」とお礼を言いました。

どこにでも優しい人はいるものね。

 

 無事電車に乗ってホテルに着きます。

日本でも一人でホテルに泊まったことなんてありません。

チェックインするのも初めての経験でした。

フロントで自分の名前を告げて、受付の人が言う事は全く理解できず、全て首をかしげました(笑)

鍵をゲットして部屋に入ります。

「あー、助かった。」

心から安堵しました。

ホッとしたら、お腹が空いてきました。

1階にレストランがあったな。

行ってみたい気もありましたが、やっぱり一人で行くのは怖かったので、部屋からは1歩も出ず。

夕飯はホテルのルームサービスを頼むことにします。

メニューを見ても写真がついていないのです。

全く不親切。

何が何やらわかりません。

適当に何かわからない2品の名前をそれっぽく読んでみました。

通じた様でした。

まぁ、届いた料理の一品は、ヌードルと書いてあったので、麺は麺で予想通りだったのですが、うどんでもなく、ラーメンでもなく、スパゲッティでもなく、もう一品も何だろ?

何でもたいがい食べられる私が珍しく食べられないくらいの代物でした。

 

 二日間飛行機を乗り継いでやっとアルゼンチンに到着します。(ものすごーく遠かった)