新光精工FCクレールの母体になったFC小平は、監督の永沢さんが立ち上げたチームですが、私の中では、そのきっかけを作ったという意味で、自分が作ったチームという自負がありました。

 だから、とてもチームに愛着を感じていたんです。

 てるぼうがFCジンナンから読売ベレーザに移籍をした時、てるぼう以外にも有望な選手が読売に集まりだしていました。

「長峯も読売に行きたいんじゃないのか?」と永沢さんに言われた時、

「は?そんな訳ないでしょ!」

 永沢さん、全く分かってないなぁと思ったものです。

 

 しかし、一緒に汗を流してきたチームメートがひとり、またひとり、とチームを辞めていきます。私はその都度、1対1で何度も話し合い、チームに残るよう説得していました。

 どうにかチームに残ってほしい、チームにあなたは必要だ、サッカーで得られるものは大きいよ、と。

 熱く熱く、時には涙ながらに語りました。

 でも、それでチームに残留することになった人はひとりも居ませんでした。

「サッカーをやってて良かったことなんて、ひとつもない!」

と逆ギレされたこともありました。

 私にとって人生の全てとも言えるサッカーでしたが、人によって価値観はさまざま。

 私の熱くたぎっていた情熱が、徐々に冷めていき、カラッカラに干からびたドライになっていくような感じがしました。

もう、メンバーを引き留めるのはやめました。サッカーだけが人生ではないんだよね…。それぞれの道を見つければいい。

 

 FC小平第一期生の生き残りで、私の小学1年の時からの幼馴染やっこちゃんですが、大学2年の時に膝をケガして当時は珍しい慈恵医大のスポーツ外科に運ばれて、赤坂病院に入院します。

 当時はMRIがなく内視鏡で検査すると、前十字靱帯が切れていたんです。でもその病院では前十字靭帯の手術が出来なかったので、半月板の手術だけをします。

 しばらく靱帯が切れたまま放置。大学3年の時に反対の膝を痛め慈恵医大へ。前十字靭帯なら千葉の鍋島先生だ。と川鉄病院へ。全身麻酔で検査すると、反対の足の前十字靭帯も切れていた事が発覚したのです。

 両方いっぺんには手術できないから、何度も手術して、検査やボルト抜くのも入れると合計10回くらい手術してるんですよ。それでさすがに選手を断念。マネージャーとしてチームに残っていたのです。

 

 ある日、永沢さんから「マネージャーの分まで遠征費は出ないから、高橋は次の遠征が最後、今後は連れていけない。」と言われます。

 私は、やっこちゃんがどれだけチームに貢献しているかを力説。どうにかチームに帯同してもらえないかと監督に懇願しましたが叶わず。

 

 神戸に遠征に行った帰りの新幹線。私の隣に座っていたやっこちゃんが永沢さんに呼ばれて席を立ちました。

「あー、あの話だ…」 

 浮かない顔で帰ってきたやっこちゃんは、監督からの話を淡々と話してくれました。私が聞いたのと同じ話でした。

「それで、どうするの?」

「何を?」

「チームには残ってくれる?」

「いやー、辞めるよ。」

 それを聞いたら涙が溢れてきて、やっこちゃんも貰い泣き、2人で泣きました。

 やっこちゃんも辞めてしまうの?みんな、みんな私を置いて辞めていってしまうのね。私をチームに繋ぎとめてくれていた大きな存在を失ってしまう気がしました。

 私の涙に動かされたやっこちゃん。大学卒業まではマネージャーとしてチームに残ってくれることになったのです。

 問題は大学卒業後。私はどうしよう…。

 

 年に数回の日本代表の招集では、全国から集まったレベルの高い選手たちに刺激を受け、レベルの高い指導を受ける事で自分の課題も見えてきます。

意識も自然と高まり、第一回ワールドカップという目標も見えてきて、もっと、もっと上手くなりたいという気持ちでいっぱいでした。

 それが自分のチームの練習に戻ると、指導者が仕事で来られない事も多く、選手だけの練習の日々です。

 グラウンドは照明もない小学校のグラウンドです。練習時間ギリギリまで座り込んでおしゃべりしている選手たち。練習もゲラゲラ笑いながら…。

 日本リーグに参加しているチームなのに…。物足りなさを感じてしまいます。

 FC小平の練習時間は夕方5時からです。普通に就職をしたら練習に参加できなくなります。このままFC小平で続けるのは、不可能に思えました。

 もっと高いレベルの中で自分を磨きたいと思うようになっていました。

 そして、大学を卒業したら実業団のチームに移籍したいと思い始めます。

 そしてそれをまず監督の永沢さんに相談しなくては。

 10年間続けてきたチームです。どうにか円満に退部したい。永沢さんがどんな反応をするのか、ドキドキしました。

 練習場の小学校からはすぐ近くの永沢さんの家を訪ねて、自分の気持ちを話しました。

「お前の為には、それがいいと思うよ。」

と言ってくれました。快くチームを辞めることを了承してくれたのです。

 嬉しい!やっぱり永沢さんは解ってくれた。私の事を考えてくれている。

 ただ、新光精工の会社にも了承をとらなくてはならないということでした。

「ちょっと返事は待ってくれ」

と言われたのでした。                  つづく