試合の方は、参加国の中国、韓国、香港、台湾、北朝鮮6チームのリーグ戦でした。
初戦いきなり中国と対戦、
「攻守の切り替えを速くする事」
「各ラインの距離を短くする事」
「一人ひとりのボールを持つ時間を短くする事」
等を意思統一させて臨んだ試合は、なんと0対5の大敗。
当時中国は圧倒的でした。差が縮まるどころか、こんな大差をつけられたのは初めて。ショックでした。だけど、大会は始まったばかり。ショックを引きずらない様、落ち込まない様、気をつけました。
第2戦は韓国と対戦。韓国はまだ強化が進む前。8対1で大勝します。第3戦香港に5対0とこれも危なげなく勝利。
第4戦の台湾戦はメダルを取るには重要な試合でした。今まで台湾に勝ったことは1度もない。
スター周台英を擁する台湾に今まで歯が立ちませんでした。とにかくこの1戦にかける思いは強かった。
「メダルを取って女子サッカーを認知させたい!」と言うのがメンバーの皆の思いだったと思います。私たちはハングリーでした。
ほとんど変わらないメンバーで今まで何年も日本代表として戦ってきました。海外で戦って来ても、結果さえも伝えられない。
世間では女子サッカーがあるということも知られていない。関心も寄せてもらえない。
「なんで女なのにサッカーをやっているの?」と事あるごとに言われてきました。
「女子サッカーは競技人口が少ないから誰でも代表選手になれるんでしょ」と一度も女子サッカーを見たことが無い人が言います。
「女子サッカーは男子サッカーに比べてスピードがないからつまらない」とどこかの女子サッカーの試合を1試合だけ見たことがある人が言います。
代表でクリスマス会をやっていた時、当時の監督りょっぺいさんは、サッカー好きで有名な芸能人Sさんと交流がありました。
「クリスマス会に誘ったんだけどさ、女子サッカーやろ、行かへんよ~って言われちゃった。」だって。
「忙しいから行かへんよ~」って言ってくれればいいのに…。私たちがどれだけ傷ついた事か…。
アジア大会でメダルを取るという事が私たちにとって女子サッカーを認めてもらえる最大のチャンスだったのです。
「なんとしてでも勝ちたい!!」
今までやってきたサッカー人生、すべての力を出し切って、なりふり構わず、結果が全て、
「がむしゃらに」
「ひたむきに」
そんな気持ちで臨みました。
相手キックオフから始まった試合。キックオフからのバックパスに猛然とダッシュして、いきなりスライディングしてやりました。
狙ってました。
立ち上がりにガツンと気迫を見せてやりたかったんです。
ボールを奪うまでは至りませんでしたが、相手の虚をつけた気がします。
押され気味の試合、前半終了間際に得たFKを木岡さんが相手選手の準備が整う前にすばやく蹴り、半田さんが飛び出してきたGKより一瞬先に触ってシュート。先制ゴールを奪います。
ハーフタイムは「行けるぞ!」という雰囲気でいっぱい。
ところが、後半に入って同点にされてしまいます。
その直後、松田さんの蹴ったボールがゴール前へ。
とにかく当たれ!身体を投げ出して頭からつっこんだ。
ゴール!
私のヘディングシュートが決まり再びリード。
「負けてたまるか」
何度も危ない場面で全員が身体を張って阻止していた。
私も相手の背後からプレスバック。プレッシャーをかけ続けた。
最初から飛ばしていたから「もう苦しい」「もう走れない」と何度思ったことか。一瞬でも気を抜いたらやられる。台湾にはそういう怖さがありました。
終了間際には半田さんのコーナーキック。左サイドから右足で蹴ったキック。グングン曲がり、まさかの直接ゴール。
(すごい!凄すぎる半田さん!)
この時はもう半田さんに後光が差して神様の様に見えましたよ。試合まだ終わってないのに皆、涙、涙。
とにかく苦しかった。苦しかったけれど、ここで手を抜いたら勝利が逃げてしまう。女子サッカーはまた世間から無視され続けてしまう。
限界はとっくに超えていましたが、気力で走り続けました。
そして試合終了の笛。
なんと一度も勝てなかった相手に3対1で勝利することが出来たのです。
この勝利でメダルは確実となり、試合後の達成感、幸福感は忘れる事が出来ません。
そして第5戦北朝鮮との対戦です。日本は引き分けでも銀メダル確定です。
北朝鮮は予想以上に強く、防戦一方で苦しみます。後半北朝鮮に先制点を決められてしまいます。
その後は徐々に日本もペースをつかみ、木岡さんからの縦パスを受けた私が水間にスルーパス。(お願い!決めて!)
水間がシュート。
飛び出すGKの横をすり抜けてボールはコロコロと転がりゴールへ。
同点に追いつきました!
この時は泣きながら水間と抱き合って喜んだのを覚えています。
その後は北朝鮮の猛攻に防戦一方。DF陣がよく耐えきって引き分けのまま試合終了。銀メダルを獲得する事が出来たのです。(涙涙)
このメダルは女子サッカーの認知度を上げてくれました。マスコミに取り上げられる機会も増え、周りの人たちから「女子サッカー頑張ってるね」と声をかけられることも出てきたのですから。
私が毎日トレーニングに通っていた、小平市の中央公園。
アジア大会後のある日、トレーニングルームからも見える掲示板に『女子サッカー銀メダル』と見出しのついたカラーの写真ニュースが貼ってあるのを発見。
おっと、写真は点を取って喜んでいるわたしだ(汗)
すっかり常連になって、インストラクターのお姉さんとも仲良くなっていた私、誰かから声をかけられるんじゃないかとドキドキしてしまった。でもそんな心配全く無用でしたけど。
女子サッカーもまだまだだと痛感しましたよ(笑)