左手骨折のために全国大会出場は果たせなかったものの、幸い手のケガだったため、ブランクは短くすんで、3か月後の6月に中国の広州で開催されたFIFA国際大会には出場することができました。

FIFAっていうのは国際サッカー連盟のこと。

「FIFA主催ってワールドカップじゃないんですか?」

「予選があるのがワールドカップでしょ」

「ワールドカップはいつやるの?あるあるって言って、ちっともやらないじゃん。」

「早くしてくれないと、わたしたち歳とっちゃうよ~」

「近いうちにやるとは聞いているんだけどな~。今回はワールドカップの準備のための大会じゃないかな。プレワールドカップの位置づけだろう。」

 散歩中に皆でりょっぺいさんを質問攻め。りょっぺいさんもはっきりわからないみたいで困っていたなぁ。

 

1988年のこの年は日本の女子サッカーにとって、変革の年でした。

まず、今まで女子連盟の中で活動してきたのが、第5種という枠でサッカー協会の中に入ったのです。

今までずっと自己負担金出して遠征やら合宿やらに行っていたのが、このFIFA国際大会から協会の援助金が出るようになったのです。

軽井沢や沖縄で合宿できたのも、待遇が良くなった訳ではなく、自己負担金が増えていただけだったってわけだ。

 

 中国の広州は中学生の時に初めての遠征で行ったはずだけど、5年の歳月で全く街の雰囲気がかわっていたなぁ。中国の進化はすごく速かった。モノクロの世界がカラーになった感じ。

 中国での女子サッカーの人気は相変わらずで、空港に着いた瞬間から『女子サッカー大歓迎』的な熱狂ぶりが感じられたし、ホテルのTVをつけても、いつも女子サッカーの大会関連のニュース等が放送されていました。

 宿泊したのは『ホワイトスワン』っていう名前の豪華なホテル。中庭にすごく大きなプールと、屋内にもプールがありました。

「わかっていたら水着を持ってきたのに…」

って後悔していたんだけど、屋内プールで北欧の選手がトップレスで泳いでいたと聞いてビックリ!

カルチャーショックを受けたなぁ。

 

参加国は、

オーストラリア、ブラジル、カナダ、チェコスロバキア、コートジボワール、オランダ、ノルウェー、スウェーデン、タイ、アメリカ、中国。

そうそうたる国が参加した中、日本はアメリカとチェコ、スウェーデンと対戦し、

アメリカには2-5で負け、

チェコに1-2で負け、

スウェーデンに0-3で3連敗でした。

 

アメリカには4年前にユニフォーム交換して仲良くなった、後に代表監督になるエープリルもいたし、

16歳のミアハムもいた。

ミアハムはこの頃はショートカットでとても負けん気の強い顔をしていたので、

私たちの間では『きかんぼう』と呼んでいました。

後にアメリカの女子サッカー人気の火付け役で大スターになりました。

マイケルジョーダンとCMで共演したと聞いた時には、女子サッカーの価値を高めてくれたことにすごく感謝の思いでいっぱいになりましたよ。

 

あと、もの凄かったのがミッシェル エーカーズ。

背も大きいんだけど、上手いしパワーもすごい。

『サイボーグ』と呼ばせてもらっていました。

エーカーズのプレーで強烈に印象に残っているのが、コートのちょうど半分にあるハーフーェライン付近から打ったシュートがゴールのバーに当たって、そのボールがペナルティエリアまで跳ね返ったシーン。

その距離でゴールまで届く人もそう居ないのに、フワっと山なりのボールではく、弾丸ライナー。

強烈なパワー!

同じ女とは思えない…。

てゆうか、同じ人間と思えない(汗)

 

アメリカとの試合と言えば、忘れられない事があります。

日本のコーナーキックの時でした。外からのクロスに身体を投げ出して飛び込んだ私は、コーナーキックになった事を確認して立ち上がろうとしていました。

ペッ

とひとりのアメリカの選手がツバを吐きかけてきたのです。

ツバは私の顔面に的中。

「ウワっきたないっ」

ベチャっとなかなかの量です。

顔面にツバを吐きかけられる経験をした人も多くないと思いますが、

私はこれで2度目でした。

前回の台湾でやった大会の時もアメリカ戦でツバを吐きかけられた。

きっと同じ人だな。

そんなひどい事をする人が何人もいるとは思えないもんね。

これはねぇ、

なんというか、

とっても屈辱的。

バカにされた感じ?

見下された感じ?

言葉では伝え足りない気持ちを味わいました。

代表チームの選手、しかもアメリカという強豪国の選手がこんなにレベルの低い事ではいけないだろうって思いましたよ。

私の反面教師ですね。

この人のおかげで対戦相手は敬わなくちゃって事を学びましたよ。

 

 

当時のアメリカチームはユニフォームが大きくダボダボ。

ダブダブのロンパンを腰ではくスタイルでしたが、この数年後にはユニフォームもキチンと着るようになり、マナーも良くなった。

髪の毛もロングヘアーの人が増えて、ほとんどの選手がポニーテールになった。

そしてアメリカの女子サッカー人気に火が付いた。

きっと裏でプロデュースした人がいるんだろうなぁと睨んでいます。

 

 

 この大会の結果は、ノルウェー優勝。スウェーデン準優勝。ノルウェーにはリンダ メダレンが、スウェーデンにはアンネリ アンデレンがいた。最優秀選手になったのが中国の孫慶梅こと孫ちゃん。みんな後に日本でプレーすることになるんだから、日本リーグはスター大集合だよ~。

 そーそー、その日本リーグが誕生したのはこの翌年、89年でした。