長年、日本チームの守備の中心だった山口さん。台湾での中華杯世界女子選手権をケガのため欠場しました。前十字靭帯損傷という大怪我でした。ちょうどこの大会中に手術、入院をしていたんです。

 

 ケガの最初は試合中にオーバーラップをして、ドリブルで相手をかわすときにジャンプ、着地した方の膝を捻挫したところからはじまります。チームにはトレーナーもドクターもついていないのが当たり前の時代。それから1年間くらい、ねん挫しては、ひとりでリハビリ、を繰り返していました。

 

 夏の軽井沢合宿では、マッサー早川(トレーナーではなくマッサーと呼んでいました)とドクターがついてリハビリを行い、筋力等も問題なしとの診断が下って、トレーニングマッチに出場となったけれど、相手の左右の動きについていけずに、また痛めてしまいました。

 慈恵医大の河野、大畠というサッカー界では有名な大先生に診てもらい、筋トレに3週間通う事になったのですが、自宅は静岡の清水です。都内に住んでいた代表の仲間、てるぽう、まーちゃん、本田さんちに居候させてもらって新橋にある慈恵医大に通いました。

 その後、代表の監督、りょっぺいさんの紹介で、膝の権威と評判の千葉の鍋島先生に全十字靭帯断裂と診断され、12月に手術という運びになった訳です。

 

 私は台湾遠征後、一人で山口さんが入院している川鉄病院にお見舞いに行きました。小平の自宅から千葉の蘇我駅前にある病院まで2時間以上かかりました。電車の中から、『川鉄病院』の寂れた看板が見えた時には、ずいぶん遠くに一人で入院しに来ている山口さんの心細さが痛感できました。

 まぁ、この半年後には、やっこちゃんも前十字靭帯損傷で、またこの川鉄病院に入院、手術することになります。

そして、私自身もココにお世話になるとはこの時は思ってもみませんでしたけどね。

 

 山口さんが一番最初、走りだったのです。この後、本当に多くの女子サッカー選手が前十字靭帯を切っていきます。

 手術も年々進歩していったのがわかります。山口さんは腸脛靭帯を使った再建術をしたため、左の腿には20センチ以上の大きな大きな傷が残ってます。競技復帰にも1年かかっていました。半年後のやっこちゃんの時には、人口靱帯を使い、傷の大きさが5cmくらいとだいぶ小さくなり、5年後の私がやった時には、やはり人口靱帯。競技復帰は半年に短縮されていましたからねぇ。

 

 そして山口さんもやっこちゃんも私も…この前十字靭帯断裂が1回では終わらなかったのです。(ひょえー!)