イタリアとの対戦で、世界の強豪とも対等に戦えるのでは?と少し自信が持ててきていたところで、その自信を粉っぱ微塵に打ち砕かれたのが、この大会です。

 

 86年12月に行われたアジアカップでは、いきなり初戦中国と対戦しました。イタリア国際大会の時にも中国とは対戦し、その時は1―2で敗れてはいましたが、それほどの差を感じていなかったのです。ところが、今回の中国はまるで違うチームになっていました。スピード、パワー、高さに歯が立たず、0―2という結果以上に「これはとてもかなわない…」と、肌で実力の違いを感じてしまったのです。短期間でこれほど差をつけられるとは、頭をハンマーでガーンと殴られたような、大変なショックでした。決勝でも中国に0―2と完敗。

 

 試合後、洗濯物を取りに行ったホテルの廊下で、「ちょっと今日の中国どう思った?」って感じで、何人かと話しはじめました。洗濯物を取りに来た他の選手達も加わって自然と選手だけのミーティングの様になりました。

 皆感じた事は同じ様で、このままではいけない!という危機感を感じていました。「みんなで何かしようよ。」誰が言い出したのか忘れちゃいましたが、私はてっきり真面目にトレーニング系の話だろうと思いきや、「禁酒や禁煙のような、でも私たち未成年が多いから…みんなでできる事。」だって。ちょっとおちゃらけている気もしないではないですが、いつもこんな感じ。どんより落ち込んでいた空気が一変してちょっとみんな楽しい気分になってきました。「何か決意表明に皆で何かをしよう!」「何がいいかなぁ。」「そうだ!炭酸断ちはどう?」「りょっぺいさん、いつもアスリートなのに炭酸なんて飲むなよ~って言ってるじゃん。」「そうだ、そうだ」「それがいい!」当時監督だった鈴木良平さんが、食事の度に出される炭酸飲料を選手が飲むのを嫌がっていたのですが、自覚の薄い当時の私たちは監督の言う事も全くお構いなく、それまでは気にせずに飲んでいたのです。

 

 

 

 この時、『中国代表に勝つ日が来るまで、炭酸断ちを皆でしよう!』という事を選手同士で誓ったのです。この時、やっと遅ればせながら節制や、自己管理という自覚が芽生え始めたのではないでしょうか。

 その後、中国代表に勝つ事が出来たのか?答えは残念ながらノーです。私たちが現役で戦っていた時は、結局1度も勝つ事が出来ませんでした。

 

 ただ、1997年宮内ジャパンの時代に、キリンカップ、国立競技場で中国を1―0で破りました。私はテレビで観戦し、10年ぶりのコーラで祝杯をあげました。この時のコーラ、格別においしかったですねぇ。まぁ、まじめに誓いを守っていたのは私だけかもしれませんね。

 

この大会中に全チーム揃ってレセプションがありました。各チームが順番にステージに上がって出し物をやるのですが、今回の日本の出し物は『アブラハムの子』。この曲知ってますか?私はこの時初めてこの歌を知りましたが、とっても面白い。「アブラハムには7人の子、一人はのっぽであとはちび。みんな仲良く暮らしてる、さあ踊りましょう」と歌って、「右手」「左手」という歌詞に合わせて、歌っている人たちがその体の部分を動かしていきます。動かす部分は2番、3番になるにつれて増えていって、「右足」「左足」「頭」「お尻」「回って」「おしまい!」と続くんです。最後は気が狂ったように全身動かすことになるので、日本語がわからなくてもみんな私たちを見て大うけでした。