イタリアのイェゾロで、イタリアの友人たちと泣いて別れを惜しんだというのに、拍子抜けしてしまいます。まぁなんとイタリアと縁がある事でしょう。その2ヶ月後に日本でイタリアチームを招いての親善試合、西友カップが開催されることになったのです。もっと早く分かっていれば泣かずに済んだのになぁ…。西武セゾングループの「イタリア・フェア」の一環でした。

 

 第1戦は東京北区にある西が丘競技場で行われました。試合前、ジャコ達との再会を喜び合いました。ジャコは右サイドバックで出場していたので、ツートップの1角だった私とは、よく当たるのです。この試合中、ジャコは私とぶつかった際に倒れこんでしまいました。私としてはたいして強く当たった感じがなかったので、何?どうしたの?て感じで…「大丈夫?」と心配ですぐに駆け寄りましたが、膝を抱えて、大声で泣き叫びながら地面を転がりまわる姿にビックリ。呆然と眺めるしか出来ませんでした。結局選手交代でジャコは途中退場してしまいました。

 

 試合の方は、日本の浅いラインでのオフサイドトラップでイタリアを苦しめましたが、浅いラインをオフサイドギリギリで抜けだされ1点先制され、日本は松田さんのシュートをGKがはじいた所を木岡さんが詰めて1―1の同点で前半は折り返し。後半ワンツーから崩され結局2―1で負けてしまいました。それでも、今までの対戦を考えたら、1点差というのはかなりの善戦だと思いませんか?

 試合が終わってから、皆でジャコの件が話題になりました。「外国人は大げさに騒ぐよね、いくら痛くても日本人はあんな大騒ぎはしないんじゃない?」なんて言い合っていましたが、私は心配でしょうがない。本当に大げさなだけなら良いのだけれど…反則を取られた訳ではなかったけど、私との接触だったし…責任を感じてしまいます。

 

 数日後の第2戦は国立競技場で行われました。TV中継もありました。試合は、立ち上がり1分くらいでFKからモラーチェに先制されてしまいます。モラーチェは若手のエース的は選手でした。その後ビニョット選手にも決められ0―2とリードされました。その後日本にもチャンスが訪れます。

 木岡さんのCKです。キッカーの木岡さんは、とにかくキックが正確だし、無回転の強く、重いボールを蹴ってくるので、頭に当たると脳震盪をおこしそうなくらい衝撃があるのです。これのおかげで私はパンチドランカーならぬヘディングドランカーになってしまった気がしています(ただの天然だろうと言う人もいますが…)。私はいつもニアポスト(ボールから近い方のポスト)目がけて走る役目。当たった後の衝撃も顧みず、この時は「ニアに来い!」と祈っていました。

 右サイドから蹴られたボールは残念ながら私の頭上を越えてファーへ。相手ゴールキーパーも競りに行ったボールは、なんとゴールに背を向けた状態の私の目の前に落ちてきました。背後のゴールに向かって思いっきり体をひねり右足でゴールの左側に向けてボレーシュート。ゴールの中で守っていた相手DFがハンド覚悟で両手を伸ばして横っ飛びするも届かず、これがゴール!!やった、やった、やっと念願のイタリアから奪ったゴールです。(なでしこ昔話第1話 女ペレ エリザベッタビニョット参照)

 

 

 そして、立て続けにCK獲得。また右サイドです。今度も「ニアに来い!」と祈ります。ニアサイドに走り込むと、木岡さんのボールはドンピシャ。私をマークしていた相手とボールと自分と全部一緒にゴールに押し込みました。反則取られちゃいないかと心配で、倒れ込んだまま審判の方を振り向きました。審判はピーと笛を吹いて、得点が認められました。やったー!網にかかった魚の様にゴールネットに絡まったまま、もがきながら喜びを爆発させました。

 最後はまたビニョット選手にヘディングシュートを決められてしまい、結局また1点差で敗れてしまいましたが、手ごたえを感じた2試合でした。

 

 試合が終わってから、数人の仲間と一緒にイタリアが宿泊している飯田橋のホテルへ遊びに行く事にしました。何かジャコ達にお土産を買っていこうと思ったのですが、何が良いかわかりません。いろいろ悩んで、ぬいぐるみを買う事にしました。私たちは当時各々お気に入りのぬいぐるみを遠征に持って行っていたりしていて、お守りがわりの意味合いもあったのです。原宿のキディランドまで行ったなぁ。半田さんはアヒルだったかカモだったかを買い、私はカッパを買いました。なんでカッパ?と思うかもしれませんが、その時はそれがかわいい!と思ったんですねぇ。

 それを渡した時の「なんで?」って顔。やっちまったと思いました(笑)今考えると、イタリア人にとってぬいぐるみは子供のおもちゃでしかなかったんだなぁって。しかもカッパ。なんじゃコレ?って感じでしょ。

 ジャコは、松葉づえをついていました。靱帯損傷だったようです。選手生命も危ぶまれる大怪我です。膝を指差し、私を指差し、「ナガ!!」と言って私に怪我させられたというように言うんです。ガーンっとショックでしたねぇ。冗談めかしていましたが、私は申し訳なさで一杯でした。

 

 そして、翌日空港へ向かうバスに私たちも便乗させてもらう事になって、また翌朝早くにホテルへ行きました。

 バスには通訳の人も乗っていたので、いろいろな話ができました。イタリア代表のパンフレットを見せてもらいました。全選手が写真つきで載っています。所属チーム、職業などがわかりました。ほとんどの選手がトラニっていうチームに所属していました。驚いたのは、ジャコがビニョットさんと同じポルデノーネというチームだということ。ポルデノーネからはこの2人だけ。そんなに強いチームではないのかな。

 職業はほとんどの選手が家事手伝いってなっています。「何、この家事手伝いって?」お金をもらってサッカーをやっているんだけど、登録上プロではないので、家事手伝いということになっている。という説明でした。

 ジャコはチームのコーチと婚約していて、半年後に結婚することになっているここともわかりました。嬉しそうに婚約者の写真を見せてくれましたよ。

 バスの中でイタリアの曲をみんなで大声で熱唱しているんです。すごい大合唱(笑)

何度も繰り返し歌っていたので、なんとなく頭に残っていたのですが、後日ラジオのイタリア語講座を聞いていたら、その曲が流れたんです。きっとイタリアで大流行していたんでしょうね。バスの中で過ごした時間が蘇ってきて嬉しかったなぁ。この時は、またすぐ会えるような気がして、別れもそれほど悲しくはなかったのですが、その後イタリアと対戦することは1度もなかったのでした。