天津国際大会の中止を受けて、急きょ1月にインドネシアで行われる国際大会への参加が決まりました。
参加国を聞くと、地元ジャカルタの3チームにインドと日本を加えた5チームと言うじゃありませんか。なんとも物足りないと感じたのは私だけではなかったハズです。それでも、中国や台湾以外に行くのは初めてでしたし、寒い冬から南国へ行けるっていうのが楽しみでした。
事前合宿を検見川で4日間やってからインドネシアに行くのですが、事前合宿中にGKの古木さん(宮城広瀬高校)が突発性難聴とかいう事でインドネシアに行けずに家に帰る事になってしまいます。
古木さんは唯一人、関東関西以外の東北からメンバー入り。天津の時が初招集。天津が中止になった時に「地元で盛大に送り出されてきたのに~」って悔しがっていただけに、今回またしても渡航できなくなってしまったのは、あまりに不運。泣きじゃくりながら帰っていく姿に、もらい泣きしました。
ジャカルタの空港からバスに乗って着いたのは、過去のアジア大会で使用されたという古い選手村でした。
今までの遠征では、一流ホテルにばかり泊らせてもらっていたので、すっかり贅沢に慣れてしまっていた私たち。
もう何年も使われていない様な、さびれた雰囲気の選手村に少々戸惑いを感じながら、コンクリートで出来た宿泊棟へ向かって原っぱの様な敷地内を歩いていたその時です。
先に建物の中へ入った選手の「ギャーっ」という叫び声が響き渡りました。「なんだなんだ?」と選手達が集まってきました。叫び声を上げた選手が、腰を抜かして倒れていて、「この扉開けてみて!」とバスルームの閉じた扉を指差して言います。「一人じゃ怖いから」って数人一緒におそるおそる開けてみました。
開けた瞬間は、ただのバスルーム。何が?って感じですぐにはわからなかったのですが、ただ黒いのかと思った床が、よく見るとうごめいているんです。「ギャーっ」慌てて扉を閉めると、皆一斉に腰を抜かしました。なんと今思い出しても恐ろしい…床一面のゴキブリがゴソゴソと動いていたのです。いったい何匹いたのでしょう(ゾーッ)
それ以後、ここは開かずの扉になりました。
恐ろしいのは、ゴキブリだけではありませんでした。部屋の壁にはヤモリがはいずりまわっています。ヤモリの他にももろもろの虫が出てきます。冷房は扇風機だけなのに、夜は虫が怖くて窓も開けられないんです。
例の1階のバスルーム以外に、2回の廊下に仕切りもなく、剥き出しのシャワーがありましたが、蛇口から出てきたのはビックリするくらい赤茶色の水。お湯は出ません。もちろん、湯船などありません。
この遠征中、仲の良かった同い年のKちゃんが、「便秘なんだよね~」って言うから私、冗談で「このシャワーの水一滴飲んだら一発で治るよ。」と言ったんです。そしたらKちゃん大会中に具合が悪くて寝込んじゃった。
「水一滴飲んだら下痢になっちゃった」って私に耳打ち。えーっそりゃヤバイよ~。まさか本気にするとは思わなかった。私がへんな事言っちゃったからだ…。責任を感じつつ、よくあんな水飲んだなぁ…Kちゃんのあまりの素直さに笑いをこらえるのに必死でした。(ごめんね~Kちゃん!)
話を初日に戻します。食事の時間になって、より一層打撃を受けました。テーブルの上に紙製の箱が並んでいました。
日本のお弁当を想像してはいけません。それが段ボール箱と同じ茶色の厚紙なの。防水加工的な感じではない。衛生的に大丈夫なのかかなり怪しい。
日本では見慣れない冷たい食べ物が入っていました。嗅いだことのない変な匂いもします。
好き嫌いがなくって、何でも食べられることが自慢の私でも、食べるのが難しい。悲しい事に、とても日本人の口に合うものではありませんでした。食事がこれでは…これから8日間こんな生活か…すっかり気持ちが荒みました。
ところが、さすがにこの食事は厳しいという事で、次からは毎回外食で美味しい食事にありつけるようになったのです。
シャワーは、毎晩3人ずつグループになって、現地の三菱の日本人家族の家でお世話になりました。三菱は代表チームのスポンサーになっていました。治安が悪いらしく、買い物など、ほとんど自由に出歩くことはできませんでしたから、この遠征では、本当にその日本人家庭へ出向くことが唯一の楽しみになりました。
私、半田さん(清水第八)と瀬尾さん(神戸FC)の3人でお世話になったのは、旦那さんと奥さんとかわいい男の子が1人いる鍋田さんご一家。大きな豪邸にお手伝いさんが一人いました。「よっぽどお金持ちなんだろうね」などと言っていましたが、どうも、お金持ちでなくても、インドネシアに来ると、プール付きの家にお手伝いさんがついて、毎日テニスや乗馬が出来るなど、良い暮らしが出来るらしいのです。
1回夕飯をごちそうにもなり、私たちはお好み焼きを頂きました。私の母は九州の人で、子どもの頃粉物を食べたことがないからお好み焼き等が好きでないんです。そんな訳で私もそれまでお好み焼きというものを食べたことがなかった。インドネシアで初お好み焼きでした(笑)すごくおいしくて(これがお好み焼きかぁ)と感動しました。忘れられません。帰ってから他の家に行っている人たちと、「うちらは○○を食べたよ~」などと自慢しあいました。
そんなこんなで、初めはどうなることかと思ったインドネシアでしたが、途中からはとっても快適(笑)思い出深い遠征となりました。終り頃には、寝ていて天井をヤモリが横断していても、「ヤモリのヤモちゃん、今日も元気だね。」くらいに、ちっとも動じなくなっていました。慣れって怖いですねぇ(笑)
大会の方は、5チーム総当たりの予戦リーグで、チェンパカに4ー0、マワールに10―0、インドに0―1、メラティに3―0、メンバーを大きく入れ替えたインド戦では敗れたものの、予選リーグ上位2チームによる決勝でインドを7―0の大差で破って優勝することができました。
決勝戦の試合後に大変な事が起こりました。試合終了のホイッスルと同時に観衆が観客席からグラウンドになだれ込んできたのです。銃を持った警備員?警察官?が私たちの周りを囲んで守りながら、なんとか更衣室へ走って戻ってくると、「全員いるか?」全員の無事を確認してホッと一安心。スパイクを取られ、片足靴下になっている選手、ユニフォームを破かれた選手もいて、人が怖いと感じたのはあれが初めてです。
宿舎に帰ってから、スタッフと選手で、ビールかけならぬミネラルウォーターかけを皆でやって、日本代表としての初優勝をお祝いしたのでした。