*2016年9月
一日中寝ている状態が続き、食事も全くとれずの日が増え、心配になった私たちが何度も病院に行こう、点滴で水分補給してもらおうと言っても、
父は病院には行きたくない、家にいさせてほしいの一点張りでした。
週に一度の外来診察で、輸血やステロイドを点滴しましたが、劇的な効果はなく、診察に行くときは元気をふりしぼって行ってるようでした。
介護保険の申請を出し、介護ベッドが家に入ったのは亡くなる五日前でした。
父は、カッコつけなところがあり、本当は歩くのもやっとなのに車イスは断固と拒否。
トイレにも自分の力で時間をかけても行っていました。
*2016年9月12日明け方 救急搬送
最後まで在宅医療を希望していた父でしたが、この日は夜通し嘔吐が止まらず、
せっかく飲んだ痛み止めも嘔吐してしまうため疼痛コントロールができなくなり、
とても痛がるようになりました。
ちょうどこの前日に、私の弟が父を見舞いに実家に来ていて、自宅に帰る頃から様子がおかしくなりました。
遠くてなかなか会えない息子に会えてホッとしたのかな。
明け方、母から救急車で病院に運ばれたことを聞き、急いで私が病院に着いたときには、つい二日前に会った父とはまるで別人のようになっていました。
痛みを訴えるのでモルヒネを投与され、
落ち着いてるように見えましたが、医師からはもう呼吸がいつ止まってもおかしくないと言われました。
言葉は何を話そうとしているのかわからなかったけれど、意志の疎通はできました。
酸素マスクを邪魔そうにずらそうとしていることが多かったです。
前日に自宅の横浜に帰ったばかりの弟に、危篤だと告げるとまた京都に来ると言い、子供たちが下校するのでいったん大阪に帰った私は子供たちを連れて病院に行きました。
午前中は、苦悶の顔をしていた父が、私が子供たちを迎えに行っていた2時間の間にとても穏やかな顔に変わっていたのが印象的でした。
私と子供たち、弟が病院に着いて45分後、父は本当に安らかに、眠るように息を引き取りました。
人間は死ぬ直前まで耳は聞こえていると看護師さんに言われたので、
みんなでありがとう、よくがんばったね、と話しかけ続けました。
子供たちは、中1と小2なので、人の臨終に立ち会わせてよいものかと、少し悩みましたが、
大好きなじいちゃんに最期のお別れを言うことができて、良かったのだと思います。
父も、私たち家族に見守られて天国に行けて、良かったと思ってるのではないかな。
*2016年9月15日 告別式
質素に行う予定だった告別式も、生前の父の人柄なのか大勢の人が見送りに来てくれました。
多感な時期である子供たちには、命の大切さをじいちゃんから教えてもらった気がします。
父は、ガンを告知されてから、
自分の亡き後、私たち残された家族が困らないようにと、
身辺整理や事務処理の仕方、連絡してほしい人のリストなど、
事細かく整理してファイルにしてくれていました。
葬儀社の人も、これだけキッチリした人は珍しいと言われていました。
口うるさいところもあって、敬遠していた時期もあったけど、
いつも家族のことを一番に考えてくれていた優しい父でした。
まだまだ一緒にいろんなところに行ったり、教えてほしいこともたくさんあったのに、残念でたまりません。
父からの遺言などは、かしこまった言葉はなかったけど、
いつも私には「○○、□□(子供たちの名前)をよく見たってくれよ。よく話すことが大事やぞ」と言っていました。
なので、私は子供たちをしっかりと育てることが父との約束なので、
反抗期まっただ中でイラッとくる時も多いけれど、しっかり子育てしないとね。
5回にも渡る長いブログとなりましたが、
読んでくださった方、ありがとうございました。
一日も早く、すい臓がんの早期発見と、一日でも長く生きることができるように願ってやみません。
一日中寝ている状態が続き、食事も全くとれずの日が増え、心配になった私たちが何度も病院に行こう、点滴で水分補給してもらおうと言っても、
父は病院には行きたくない、家にいさせてほしいの一点張りでした。
週に一度の外来診察で、輸血やステロイドを点滴しましたが、劇的な効果はなく、診察に行くときは元気をふりしぼって行ってるようでした。
介護保険の申請を出し、介護ベッドが家に入ったのは亡くなる五日前でした。
父は、カッコつけなところがあり、本当は歩くのもやっとなのに車イスは断固と拒否。
トイレにも自分の力で時間をかけても行っていました。
*2016年9月12日明け方 救急搬送
最後まで在宅医療を希望していた父でしたが、この日は夜通し嘔吐が止まらず、
せっかく飲んだ痛み止めも嘔吐してしまうため疼痛コントロールができなくなり、
とても痛がるようになりました。
ちょうどこの前日に、私の弟が父を見舞いに実家に来ていて、自宅に帰る頃から様子がおかしくなりました。
遠くてなかなか会えない息子に会えてホッとしたのかな。
明け方、母から救急車で病院に運ばれたことを聞き、急いで私が病院に着いたときには、つい二日前に会った父とはまるで別人のようになっていました。
痛みを訴えるのでモルヒネを投与され、
落ち着いてるように見えましたが、医師からはもう呼吸がいつ止まってもおかしくないと言われました。
言葉は何を話そうとしているのかわからなかったけれど、意志の疎通はできました。
酸素マスクを邪魔そうにずらそうとしていることが多かったです。
前日に自宅の横浜に帰ったばかりの弟に、危篤だと告げるとまた京都に来ると言い、子供たちが下校するのでいったん大阪に帰った私は子供たちを連れて病院に行きました。
午前中は、苦悶の顔をしていた父が、私が子供たちを迎えに行っていた2時間の間にとても穏やかな顔に変わっていたのが印象的でした。
私と子供たち、弟が病院に着いて45分後、父は本当に安らかに、眠るように息を引き取りました。
人間は死ぬ直前まで耳は聞こえていると看護師さんに言われたので、
みんなでありがとう、よくがんばったね、と話しかけ続けました。
子供たちは、中1と小2なので、人の臨終に立ち会わせてよいものかと、少し悩みましたが、
大好きなじいちゃんに最期のお別れを言うことができて、良かったのだと思います。
父も、私たち家族に見守られて天国に行けて、良かったと思ってるのではないかな。
*2016年9月15日 告別式
質素に行う予定だった告別式も、生前の父の人柄なのか大勢の人が見送りに来てくれました。
多感な時期である子供たちには、命の大切さをじいちゃんから教えてもらった気がします。
父は、ガンを告知されてから、
自分の亡き後、私たち残された家族が困らないようにと、
身辺整理や事務処理の仕方、連絡してほしい人のリストなど、
事細かく整理してファイルにしてくれていました。
葬儀社の人も、これだけキッチリした人は珍しいと言われていました。
口うるさいところもあって、敬遠していた時期もあったけど、
いつも家族のことを一番に考えてくれていた優しい父でした。
まだまだ一緒にいろんなところに行ったり、教えてほしいこともたくさんあったのに、残念でたまりません。
父からの遺言などは、かしこまった言葉はなかったけど、
いつも私には「○○、□□(子供たちの名前)をよく見たってくれよ。よく話すことが大事やぞ」と言っていました。
なので、私は子供たちをしっかりと育てることが父との約束なので、
反抗期まっただ中でイラッとくる時も多いけれど、しっかり子育てしないとね。
5回にも渡る長いブログとなりましたが、
読んでくださった方、ありがとうございました。
一日も早く、すい臓がんの早期発見と、一日でも長く生きることができるように願ってやみません。