特にすることのない今日の出来事。

 

最近意味もなく地活へ行くたびに出てくるキーワードがある。

 

「アナログの極み」

 

人によってはそれが自給自足のエコな生活だと考える人もいるかもしれない。

 

アナログの極みというワードは単純にデジタルな空間との回避である。

 

最近自主的にPS4をしていない。

なぜならゲームとは能がマヒし、依存症という特性のある僕は没頭してしまうからである。

ある種、本能的な回避なのかもしれない。

さて、依存症という特性は負のイメージがあるが「本当にそうだろうか?」。

武器になる点はないだろうか。

 

没頭できるということは一つのことへ集中できるということである、

考え方さえ転換すればすごいプロフェッショナルなことなのではないだろうか。

 

機械的であるということは感情を持たずに生産を繰り返せる。

 

ある種「生きたAI」であり、近未来の生産物のようなものである。

 

若干「多動力」に特化した考え方だが、ドライな視点から見れば合理的で簡潔なものである。

 

決めつけというものは固定概念に特化しつまらなくマヒをするものである。

 

フリーダムにただ単にその日暮らしで気づくことは多々ある。

 

今日は引きこもりをしながらそんなことを考えていた。