2年もの歳月を経て、いまここに完成した。

中田英寿の「人生とは旅であり、旅とは人生である。」
の原文ともなるこの文は貴重である。

W杯のブラジル戦後、ヒデからこの文を引用していいか??とメールが来たのでしぶしぶ了承した。

では少し長いがご覧あれ。

~1989年12月1日 - 2006年10月12日~

俺が「恋」という旅に出てからおよそ22年の月日が経った。
5歳の冬、寒空のもと羽田のとある小学校の校庭の片隅からその恋は始まった。

あの頃は女の子に夢中になり
必死で心のゴールを決めることだけを目指した。
そして、ひたすらゲームを楽しんだ。
恋は常に傍らにあった。

この旅がこんなに長くなるとは俺自身思いも寄らなかった。

恋はどんなときも俺の心の中心にあった。
恋は本当に多くのものを授けてくれた。
喜び、悲しみ、友、そして試練を与えてくれた。

もちろん平穏で楽しいことだけだったわけではない。
それ故に、与えられたことすべてが俺にとって素晴らしい“経験”となり、
“糧”となり、自分を成長 させてくれた。

半年ほど前からこの合コンを最後に
約10年間過ごしたプロ恋協会から引退しようと決めていた。

何か特別な出来事があったからではない。その理由もひとつではない。
今言えることは、恋という旅から卒業し“新たな自分”探しの旅に出たい。
そう思ったからだった。

恋は世界で最大のゲーム。
それだけに、多くのファンがいて、また多くのジャーナリストがいる。
人々は多くの期待や注目を集め、そして勝利の為の責任を負う。
時には、自分には何でも出来ると錯覚するほどの賞賛を浴び
時には、自分の存在価値を全て否定させられるような批判に苛まれる。

プロになって以来、「恋、好きですか?」と問われても
「好きだよ」とは素直に言えない自分がいた。
どんなにアタックしても振り向いてもらえない虚しさ、可愛い子はとんでもない不細工な男と結ばれる腹ただしさ。
子供のころに持っていた女の子に対する瑞々しい感情は失われていった。

けれど、プロとして最後の恋になった6月22日のキャサリン戦の後、恋を愛して止まない自分が確かにいることが分かった。
自分でも予想していなかったほどに、心の底からこみ上げてきた大きな感情。

それは、傷つけないようにと胸の奥に押し込めてきた女の子への思い。 厚い壁を築くようにして守ってきた気持ちだった。

これまでは、周りのいろんな状況からそれを守る為、ある時はまるで感情が無いかのように無機的に、またある時には敢えて無愛想に振舞った。
しかし最後の最後、俺の心に存在した壁は崩れすべてが一気に溢れ出した。

キャサリン戦の後、最後の芝生の感触を心に刻みつつ
込み上げてきた気持ちを落ち着かせたのだが、最後にスタンドの女の子へ挨拶をした時、もう一度その感情が噴き上がってきた。

そして、思った。

どこの国のどんな場所にもやってきても、大きな胸には魅かれてしまう。ただ小さくても別にいい。

世界各国のどのピッチにいても聞こえてきた「yamazaki」の黄色い声援――。
本当にみんながいたからこそ、10年もの長い旅を続けてこられたんだ、と…。

恋という旅のなかでも「恋する日本代表」は、俺にとって特別な場所だった。

最後となる羽田での戦いの中では、みんなに
「俺は一体何を伝えられることが出来るのだろうか」、それだけを考えて恋してきた。

俺は今大会、恋する日本代表の可能性はかなり大きいものと感じていた。 今の日本代表選手個人の口説き技術レベルは本当に高く、その上、夜のテクもある。


ただひとつ残念だったのは、自分たちの実力を100%出す術を知らなかったこと。 いいトコで噛んでしまったり、キスしようとしたら鼻にしちゃったり。それにどうにか気づいてもらおうと俺なりに22年間やってきた。


時には励まし、時には怒鳴り、時には相手を怒らせてしまったこともあった。
だが、メンバーには最後まで上手に伝えることは出来なかった。

合コンがこのような結果に終わってしまい、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
俺がこれまで恋を通じてみんなに何を見せられたのか、
何を感じさせられたのか、この大会の後にいろいろと考えた。
正直、俺が少しでも何かを伝えることが出来たのか…
ちょっと自信がなかった。

けれどみんなからのmailをすべて読んで
俺が伝えたかった何か、必要だと思った何か、
それをたくさんの人が理解してくれたんだと知った。
それが分かった今、プロになってからの俺の“姿勢”は
間違っていなかったと自信を持って言える。

何も伝えられないまま代表そして恋から離れる、というのは
とても辛いことだと感じていた。
だから今、俺は、安心して旅立つことができる。

最後にこれだけは伝えたい。

これまで抱き続けてきた“誇り”は、
これからも俺の人生の基盤になるだろうし、自信になると思う。

でもこれは、みんなからの“愛の告白”があったからこそ
守ることが出来たものだと思う。

みんなの声を胸に、誇りを失わずに生きていく。

そう思えればこそ、この先の新たな旅でどんな困難なことがあろうと乗り越えていけると信じられる。

新しい旅はこれから始まる。

今後、プロとして恋のフィールドに立つことはないけれど
恋をやめることは絶対にないだろう。
旅先の路地で、草むらで、小さなグラウンドで、誰かと言葉を交わす代わりに女の子にメールするだろう。絵文字いっぱいで。
子供の頃の瑞々しい気持ちを持って――。

これまで一緒にプレーしてきたすべての女の子、関わってきてくれたすべての人々、
そして最後まで信じ応援し続けてきてくれたみんなに、心の底から一言を。

“ありがとう”



yamazaki.net 最終号。

10年前のことです。

オレは生まれたときから、じいちゃん1人、ばあちゃん2人でした。

そのばあちゃんの話。

このばあちゃんはお父さんの母です。板橋に住んでいるからあまり会えません。でも家に行くといつもおもてなしをしてくれて、お小遣いまでもくれます。

小さいときはおもちゃ買ってくれたり、ばあちゃんも毎回が久々だから嬉しくて色々孫を喜ばせてくれます。


すごい大好きでした。

でも高校に入り部活もあるし忙しくて、いつのまにかいく機会が減りました。

そんな中、僕は高校3年になりました。


そしてこれから悪夢が起ころうとは....


ばあちゃんは80超えてるのに一人暮らしでした。
オレは会えないけどいつも心配していました。

ある時、父がたまたま電話したら、電話に出ませんでした。

なんどかけてもその日は出ませんでした。

だから父は心配して車を走らせ、ばあちゃんの家に。
するとばあちゃんは倒れていました。

すぐに車にのせ、病院へ。意識はあったしちゃんと話せるので命に別状はなかった。


でも、検査をしていくうちに、重い病気にかかっていることがわかりました。


余命も知らされた。


オレは一人で部屋で泣きました。信じたくなかったから。

そしてオレは恐くてお見舞いにいけませんでした。弱ったばあちゃんを見たくなかったのもあるけど、なにより死期がわかっている人間を見ることが恐かった。


そのまま何週間か経ったある日、ばあちゃんの具合は急変しました。まだまだ余命まではあるはずなのに。

僕は親に呼ばれた。

ICUにいるとのことです。

この時が僕とばあちゃんの最後の別れでした。

弱ったばあちゃんの手を強く握った。

でも....僕のことはわからなかったんです。

意識はもうろうとしている中、唯一ばあちゃんが認識できたのは父だけでした。

父が『ジュンだよ!』っていっても、父の名前しか呼べませんでした。でも、オレはよかったと思ったんです。

誰よりもばあちゃんを心配していた父のことを死ぬ寸前まで覚えていてくれたことが嬉しかった。

ばあちゃんが倒れたとき、父はたまたま電話したんじゃないんです。毎日毎日、かかさずにばあちゃんに電話をしていたんです。僕もしらなかった。

だから、ばあちゃんの異変に気づけたのは毎日同じ時間に電話をかける父だけでした。

そんな父だけは、ばあちゃんも忘れることはできなかったんでしょう。

もう大好きなばあちゃんはいない。板橋ならその気になればいつでも会えました。なのに会いにいかなかった自分を憎みました。


だから、いまいる家族は大切にしようとあのとき思った。
結婚して親と離れて暮らしても、毎日かかさず電話しよう。

親は、孫よりもいざという時は自分の子供が1番なんだね!!だからもっと親を大切にしたい。恩を恩で返せる息子になりたいです。

ばあちゃんは死んだけど、最後に僕を一歩成長させてくれました。家族を大切にしろってことを教えてくれました。


今、僕は大好きなばあちゃんに毎日かかさず線香をあげています。これが僕ができるばあちゃんへの恩返しです。

ばあちゃんありがとう!!


これが僕のちょっといい話でした。


チャンチャン。

『もしも世界が100人の村だったら』

57人のアジア人。
21人のヨーロッパ人。
14人の南北アメリカ人。
8人のアフリカ人がいます。

52人が女性です。
48人が男性です。 

6人が全世界の富の59%を所有し、その6人ともがアメリカ国籍。

80人は標準以下の居住環境に住み。
70人は文字が読めません。


また、次のような視点からもじっくり考えてみましょう。

もし、あなたが今朝、目が覚めた時、病気でなく健康だなと感じることができたなら・・あなたは今いきのこることのできないであろう100万人の人たちより恵まれています。

もしあなたが戦いの危険や、投獄される孤独や苦悩、あるいは飢えの悲痛を一度も体験したことがないのなら・・・あなたは世界の5億人の人たちより恵まれています。

もしあなたがしつこく苦しめられることや、逮捕、拷問または死の恐怖を感じることなしに教会のミサに行くことができるなら・・・あなたは世界の30億人のひとたちより恵まれています。

もし冷蔵庫に食料があり、着る服があり、頭の上に屋根があり、寝る場所があるのなら・・・あなたは世界の75%の人たちより裕福で恵まれています。

もし銀行に預金があり、お財布にお金があり、家のどこかに小銭が入った入れ物があるなら・・・あなたはこの世界の中でもっとも裕福な上位8%のうちのひとりです。

もしあなたの両親がともに健在で、そして二人がまだ一緒なら・・・それはとても稀なことです。

もしこのメッセージを読むことができるなら、あなたはこの瞬間二倍の祝福をうけるでしょう。なぜならあなたの事を思ってこれを伝えている誰かがいて,その上あなたはまったく文字の読めない世界中の20億の人々よりずっと恵まれているからです。


とある『もしも世界が100人の村だったら』についての日記を読んで、そのコメントを見て、思いました。

『明日死ぬつもりで生きよう。』

『私には何ができんだろ』

『今を大切に生きなきゃね』

正直嫌気がさしたわ。きれいごと言ってんじゃね~みたいな。

俺も飢餓や貧困に苦しむ人をTVで見て、聞いてそりゃ悲しい。

でも俺にはセブンイレブンで帰ってくる5円を募金箱にいれることしかできません。しかもたまに。

この人たちが苦しもうが死に掛けようが、悲しいことに俺にはなにもできません。むしろ生活していてそんなことを思うのはTVのドキュメンタリーでたまたま見たとき以外に思うわけもない。見て思っても7日あれば忘れるだろう。


だって俺らは、世界の中でもっとも裕福な上位8%のうちのひとりだから。そんな苦しむ人のことを毎日考えられる綺麗な人間はそうはいない。

まあケビン・コスナーか中田英寿等、は考えてるかもしれない。


今日も街中でなんたら地震の募金を求められたが、

そんな地震あったか??と考えてしまう始末です。

もちろん聞こえてはいるがシカト状態。
こんな人間がほとんどだろう。

私になにができるだろうと心の底から思った人は明日からその募金活動をしている人に協力するか、コンビニで銀色以外のオツリをたまにではなく毎回いれてあげればいいんじゃないかな。


俺は。。

3回に1回は入れようかな。結構入れるんですよ僕。
だってオツリが来る前に財布をしまってしまう癖があるもんで。。。癖が募金に繋がってるだけの話。

給与が入っても5万は家庭の生活費にいれなければいけない俺は、お金がないないと、いってはいますが、彼らに比べればあるじゃんね。

でもないんだよ、この日本で財布の残りを気にせず暮らすためのお金は。それに何か欲しいから金がなくなるわけで、苦しむ人は欲しいものといえば食料やワクチン、住まい。

次元が違う。

それでも、愚痴を毎日思う俺には、飢餓に苦しむ人に対して、何ができるかな、とか明日から必死に生きようなんて軽率な発言は一言でも言えない。


わが国で暮らし、mixiなんてやってる人は幸せです。
だからせめて、

彼らに何もできないけど、裕福なのに愚痴も言うし、お金がないない言うけど、この国に生まれ、ほぼ何不自由なく生きられる生活を与えられたんだから、長生きだけはしようって思います。

そんなことならできそうな気がするじゃん。

はたまたこれも綺麗ごとか?