28.[ε-5]日本人の祖先 その3 ~縄文時代の考察① 序章~
さて、前回から、時間が経ってしまいましたが、縄文時代の考察をしていきましょう。
【前々回分】→ 『16.[ε-1]日本人の祖先 その1 【改訂版】』→ http://ameblo.jp/junya1981/entry-10420012733.html
【前回分】→ 『20.[ε-4]日本人の祖先 その2 ~旧石器時代の考察~』→ http://ameblo.jp/junya1981/entry-10427741152.html
縄文時代を考察する場合において、どこからアプローチしていくか考えていたのですが、ちょうど、昨日の日経のコラムに縄文時代を取り上げていましたので、これを活用させていただきます。
縄文時代についての知識に不安がある方は、こちら↓をご覧ください。
《NHKの高校講座》です。
『19.[ε-3]《参考資料》【動画集】高校で学ぶ日本史(縄文時代)』→ http://ameblo.jp/junya1981/entry-10421969203.html
といっても今回は序章に過ぎません。縄文時代は皆さんが思っているよりもかなり高度な文明です。
私は、世界四大文明にも匹敵する文明だったと考えています。
仮に私の仮説が正しいとすれば、既存の日本の人類史、世界史、日本の古代史を覆すことになるだろうと思っています。
それでは、見ていきましょう。

[引用:日本経済新聞 日刊 1面 (2010.02.03)※ブログ主により加工]
さて、「土偶展」の話題ですね。
それでは、この記事を活用し、縄文時代を詳しく見てみましょう。
東京国立博物館で開催中の「土偶展」のホームページ(http://www.tnm.go.jp/jp/servlet/Con?pageId=A01&processId=02&event_id=6908)より、
すごいですね。世界的に高い評価を得ているようです。
この「土偶展」は、イギリスの大英博物館で2009年9月10日(木)から11月22日(日)まで開催されるTHE POWER OF DOGUの帰国記念展ということなので、もはや、世界レベルですね。
しかし、「土偶」の発生が、縄文時代草創期(約13,000年前)にまで遡るとは驚きました。
縄文時代は、土器型式上の区分から、縄文時代は、草創期・早期・前期・中期・後期・晩期の 6期に分けられます。この時期区分を、AMS法で測定して暦年代に補正した年代で示すと、
となります。
土偶について調べてみると、
(wikipaeiaより引用)
コラムにもあるように、土偶にどんな役割があったのか、はっきりとは分からないようです。
様々な説があるようですが、ご紹介しましょう。
なるほど、わたしは、①の説、②の説、③の精霊・呪物説を支持しますね。
私は、縄文時代の前半は、③の説が、後半は①,②の説が色濃く反映されていると考えています。
検証してみましょう。
乳房・正中(せいちゅう)線・腹部・陰部など特定な部分だけ具体的に表現されています。
人体を大きくデフォルメして表わし、特に女性の生殖機能を強調していますから、②の「豊穣、多産などを祈る意味合いがあったものと推定する説」が色濃く反映されていたと考えるのが妥当です。
したがって、①の「祭祀などの際に破壊し、災厄などをはらうことを目的に製造されたという説」が色濃く反映されていたと考えるのが妥当です。
乳房が明瞭に表現されていることから、女性を表現したと考えられます。
ところで、縄文時代の前の時代は石器時代でしたよね?
ということは、縄文時代の草創期の人々には、石器人の風習や信仰が受け継がれていると考えられます。
なぜなら、石器人のY染色体の亜系はC系統(C1,C3)でしたよね。
また、縄文人として日本に渡来した人々は、D系統(D2)でした。
となってることからも、「縄文人として日本に渡来した人々」と「石器人」はお互いに文化が融合したと考えられる。
石器人の風習や信仰は、前回に触れましたが、
したがって、③の「精霊・呪物説」が色濃く反映されていたと考えます。
最後に、④の古代宇宙飛行士説は、私には、分析不可能です(笑)
一応、紹介すると、
この説は、疑似科学と位置づけられることもあるが、科学の体裁を取っていないためむしろオカルトやSFに近いということで、学問と呼べる代物ではなく、論理的ではないので私には無理です。
オカルトやSFについては、このような方々が専門です。
・・・・
話を元に戻します。
いかがでしょうか。「土偶」を考察するだけでも、縄文時代の文化が想像できるのではないでしょうか。
「かなり高度な文明で世界四大文明にも匹敵する文明だったのでは?」と考えてしまう一端を垣間見た気がしませんか?
縄文時代は1万年も続いた時代ですよ?高度な文明が発達していても不思議ではないでしょう?
長くなりましたので、今回はここまでにします。
結局、コラムの前半部分のみになってしまいました。
次回以降は、コラムの後半部分の「弥生時代に始まったとされてきた稲作は、じつは縄文前期までさかのぼれる」「広場を備えた大きな集落も現れていた」「遠方との交易もなかなか盛んだった」を触れてみたいと思います。
たぶん、次回は「稲作」だけになりそうな気もしますが・・・・
できるかぎり頑張ります。
いかがでしょうか?
皆さんは、どのようにお考えになりますか?
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縄文時代を考察する場合において、どこからアプローチしていくか考えていたのですが、ちょうど、昨日の日経のコラムに縄文時代を取り上げていましたので、これを活用させていただきます。
縄文時代についての知識に不安がある方は、こちら↓をご覧ください。
《NHKの高校講座》です。
『19.[ε-3]《参考資料》【動画集】高校で学ぶ日本史(縄文時代)』→ http://ameblo.jp/junya1981/entry-10421969203.html
といっても今回は序章に過ぎません。縄文時代は皆さんが思っているよりもかなり高度な文明です。
私は、世界四大文明にも匹敵する文明だったと考えています。
仮に私の仮説が正しいとすれば、既存の日本の人類史、世界史、日本の古代史を覆すことになるだろうと思っています。
それでは、見ていきましょう。

[引用:日本経済新聞 日刊 1面 (2010.02.03)※ブログ主により加工]
春秋(2/3)
http://www.nikkei.co.jp/news/shasetsu/20100202ASDK0200A02022010.html
眺めていると深い安らぎを覚えるから不思議だ。ゆったりとしたパワーも伝わってくる。東京国立博物館で開催中の「土偶展」に勢ぞろいした、縄文時代の偶像たちである。力強くてユーモラスで、どこか悲しげな姿が人々の心を打つ。
▼土偶にどんな役割があったのか、はっきりとは分からないという。しかし女性の特徴をうんと誇張した造形や奇抜な表情には、生命をいとおしむ気持ちがこめられているに違いない。長命や安産を祈り、食の豊かなることを願った縄文人の精神世界が知れる。厳しい自然と闘いながら、この時代は1万年も続いた。
▼もっとも、最近の研究は縄文のイメージを大きく変えつつある。弥生時代に始まったとされてきた稲作は、じつは縄文前期までさかのぼれるらしい。広場を備えた大きな集落も現れていたというし、遠方との交易もなかなか盛んだったようだ。よくよく土偶の数々を見直せば、なんと巧みなアートでもあることか。
▼展覧会の花形のひとつは、昨年国宝に指定されたばかりの「合掌土偶」だ。うずくまって両手を合わせ、ひたすら祈りをささげているように見える。しかし、それも現代人の解釈ではあろう。かの時代の作者は何か意外なポーズをかたどってみたのかもしれない。想像力をかきたててやまぬ、われらが先祖なのだ。
さて、「土偶展」の話題ですね。
それでは、この記事を活用し、縄文時代を詳しく見てみましょう。
東京国立博物館で開催中の「土偶展」のホームページ(http://www.tnm.go.jp/jp/servlet/Con?pageId=A01&processId=02&event_id=6908)より、
文化庁海外展 大英博物館帰国記念 「国宝 土偶展」
本館特別5室 2009年12月15日(火)~2010年2月21日(日)
左:国宝 縄文のビーナス
長野県棚畑遺跡出土
縄文時代中期(前3000~前2000)
長野・茅野市教育委員会蔵
中央:国宝 合掌土偶
青森県八戸市風張1遺跡出土
縄文時代後期(前2000~前1000)
青森・八戸市蔵
右:国宝 中空土偶
北海道函館市著保内野遺跡出土
縄文時代後期(前2000~前1000)
北海道・函館市教育委員会蔵
“ひとがた”をした素焼きの土製品「土偶」の発生は、縄文時代草創期(約13,000年前)にまでさかのぼります。伸びやかに両手を上げるもの、出産間近の女性の姿を表すもの、極端に強調された大きな顔面のものなど、多様な姿かたちをする土偶は「祈りの造形」とも称され、縄文時代の人々の精神世界や信仰のあり方を具現化した芸術品として、世界的に高い評価を得ています。
すごいですね。世界的に高い評価を得ているようです。
この「土偶展」は、イギリスの大英博物館で2009年9月10日(木)から11月22日(日)まで開催されるTHE POWER OF DOGUの帰国記念展ということなので、もはや、世界レベルですね。
しかし、「土偶」の発生が、縄文時代草創期(約13,000年前)にまで遡るとは驚きました。
縄文時代は、土器型式上の区分から、縄文時代は、草創期・早期・前期・中期・後期・晩期の 6期に分けられます。この時期区分を、AMS法で測定して暦年代に補正した年代で示すと、
・草創期(約15,000~12,000年前)
・早期(約12,000~7,000年前)
・前期(約7,000~5,500年前)
・中期(約5,500~4,500年前)
・後期(約4,500~3,300年前)
・晩期(約3,300~2,800年前)
となります。
土偶について調べてみると、
(wikipaeiaより引用)
土偶が日本列島で初めて現れるのは縄文時代の早期前半、関東東部においてである。そして、中期終わりにいったん消え、再び登場するのは東日本で後期後葉である。九州の中・北部で初めて現れるのが後期初頭である。弥生時代には全く作られなくなる。勿論、旧石器時代にもない。縄文式土器と同様、土偶も出土地域や年代によってさまざまな様式のものがある。国立歴史民俗博物館(千葉県佐倉市)の調査によれば、日本全国の出土総数は15000体ほどである。出土分布は東日本に偏っており、西日本での出土はまれである。千葉県佐倉市にある吉見台遺跡からは、600個以上の土偶が出土している。(引用終わり)
もっとも古い土偶は、三重県松阪市飯南町粥見井尻(かゆみいじり)遺跡で見つかった縄文時代草創期(約1万2,000年~1万1,000年前)のもの3点である。顔や手足の表現がないが、乳房は明瞭に表現されている。前期は、この延長線上で板状土偶が発達し、中期には東日本で細部表現が豊かな立像土偶が現れ、後期にはハート型土偶が現れる。後期から晩期にかけて、関東から東北地方では、山形土偶やミミズク土偶、遮光器土偶などが大量に造られる。九州を除く西日本では人型土偶は希で、簡略で扁平な分銅形土偶などが多い。
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コラムにもあるように、土偶にどんな役割があったのか、はっきりとは分からないようです。
様々な説があるようですが、ご紹介しましょう。
現在までに出土している土偶は大半が何らかの形で破損しており、故意に壊したと思われるものも多い。特に、脚部の一方のみを故意に壊した例が多い。
①そのため、祭祀などの際に破壊し、災厄などをはらうことを目的に製造されたという説。
②また、大半の土偶は人体を大きくデフォルメして表わし、特に女性の生殖機能を強調していることから、豊穣、多産などを祈る意味合いがあったものと推定する説。
③その他、神像、女神像、精霊、護符、呪物などの多様な説。
④古代宇宙飛行士説(土偶は古代に地球に飛来した宇宙人のモデルであるとして古代宇宙飛行士説を唱える者もいる。)
なるほど、わたしは、①の説、②の説、③の精霊・呪物説を支持しますね。
私は、縄文時代の前半は、③の説が、後半は①,②の説が色濃く反映されていると考えています。
検証してみましょう。
↓縄文時代中期(5000年前、紀元前3000年頃)
縄文のビーナス
長野県棚畑遺跡出土
縄文時代中期(前3000~前2000)
長野・茅野市教育委員会蔵
乳房・正中(せいちゅう)線・腹部・陰部など特定な部分だけ具体的に表現されています。
人体を大きくデフォルメして表わし、特に女性の生殖機能を強調していますから、②の「豊穣、多産などを祈る意味合いがあったものと推定する説」が色濃く反映されていたと考えるのが妥当です。
↓縄文時代の後期(4000年前、紀元前2000年頃)
合掌土偶
青森県八戸市風張1遺跡出土
縄文時代後期(前2000~前1000)
青森・八戸市蔵
青森県木造町亀ヶ岡遺跡出土
縄文時代晩期・前1000~前400年
東京国立博物館蔵
土偶を用いた祭祀を行うことで社会集団を統合していたのではないかという考え方がある。
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したがって、①の「祭祀などの際に破壊し、災厄などをはらうことを目的に製造されたという説」が色濃く反映されていたと考えるのが妥当です。
もっとも古い土偶は、三重県松阪市飯南町粥見井尻(かゆみいじり)遺跡で見つかった縄文時代草創期(約1万2,000年~1万1,000年前)のもの3点である。顔や手足の表現がないが、乳房は明瞭に表現されている。
三重県埋蔵文化財センター(http://www.pref.mie.jp/MAIBUN/HP/data/gallery.htm)
乳房が明瞭に表現されていることから、女性を表現したと考えられます。
ところで、縄文時代の前の時代は石器時代でしたよね?
ということは、縄文時代の草創期の人々には、石器人の風習や信仰が受け継がれていると考えられます。
なぜなら、石器人のY染色体の亜系はC系統(C1,C3)でしたよね。
また、縄文人として日本に渡来した人々は、D系統(D2)でした。
現在の日本人のY染色体の亜系の含有率は、
・C系統が約10%
・D系統が約40%
・O系統が約50%
・N系統が約1%
参考:【前回分】→ 『17.[ω-1]【詳細情報】「日本人の祖先 その1」』→ http://ameblo.jp/junya1981/entry-10420765963.html
となってることからも、「縄文人として日本に渡来した人々」と「石器人」はお互いに文化が融合したと考えられる。
石器人の風習や信仰は、前回に触れましたが、
・自然崇拝
・霊、霊力、精霊群への祈祷
・シャーマニズム
だったと、わたしは結論付けました。
参考:【前回分】→ 『20.[ε-4]日本人の祖先 その2 ~旧石器時代の考察~』→ http://ameblo.jp/junya1981/entry-10427741152.html
したがって、③の「精霊・呪物説」が色濃く反映されていたと考えます。
最後に、④の古代宇宙飛行士説は、私には、分析不可能です(笑)
一応、紹介すると、
・人類史上の古代または超古代に宇宙人が地球に飛来し、人間を創造し、超古代文明を授けたという説
・巨大な考古学遺跡やオーパーツは、宇宙人の技術で作られた。
・宇宙人は、類人猿から人類を創った。
・世界各地に残る神話の神々は、宇宙人を神格化したもの。
これらより、「土偶」は古代に地球に飛来した宇宙人のモデルであるとして古代宇宙飛行士説を唱える者もいる。
この説は、疑似科学と位置づけられることもあるが、科学の体裁を取っていないためむしろオカルトやSFに近いということで、学問と呼べる代物ではなく、論理的ではないので私には無理です。
オカルトやSFについては、このような方々が専門です。
↓現存する「宇宙人」(笑)
疑似科学とは、
NHKが放送していました。
・・・・
話を元に戻します。
いかがでしょうか。「土偶」を考察するだけでも、縄文時代の文化が想像できるのではないでしょうか。
「かなり高度な文明で世界四大文明にも匹敵する文明だったのでは?」と考えてしまう一端を垣間見た気がしませんか?
縄文時代は1万年も続いた時代ですよ?高度な文明が発達していても不思議ではないでしょう?
長くなりましたので、今回はここまでにします。
結局、コラムの前半部分のみになってしまいました。
次回以降は、コラムの後半部分の「弥生時代に始まったとされてきた稲作は、じつは縄文前期までさかのぼれる」「広場を備えた大きな集落も現れていた」「遠方との交易もなかなか盛んだった」を触れてみたいと思います。
たぶん、次回は「稲作」だけになりそうな気もしますが・・・・
できるかぎり頑張ります。
いかがでしょうか?
皆さんは、どのようにお考えになりますか?
様々なご意見、ご質問、ご要望などをお待ちしております。
お気軽に下部のコメント欄をお使いくださいませ。
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