映画三昧 #2637 ⭐️⭐️* ディア・エヴァン・ハンセン(21) | juntana325 趣味三昧

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抗うつ薬を飲み飲み暮らす主人公の様子で始まる。時間と共に、ストレスは、降り積もる雪のように彼の心に積もり、観ている方も息苦しくなってくる。ミュージカルだが、かなりヘビーな鑑賞になりそうだ。




そんなエヴァンは、心の病を抱えるコナーにとって、ストレス発散の対象でしかない。もう一人の主人公はコナー。主人公といっても最初の数十分にしか登場しないし、セリフもほとんどない。なぜなら彼は、自殺してしまうからだ。


ここからが、SNSの功罪が始まる。カウンセリングの一環でエヴァンは自分に宛てた手紙を書く。ところが、それをコナーに持っていかれ、あろう事か、ポケットに入れたまま彼は自殺してしまう。遺族には、まるでコナーが親友に宛てた遺書のように受け止められてしまう。薬物中毒だったコナーに親友がいたことに驚く遺族。とうとう悲嘆する遺族が、嬉々とする姿に、エヴァンは真実を告げられなかった。




そのことが引き金になって、変わり者で、友達もいないコナーが、心を病んだ人々の救世主かのように祭り上げられる。エヴァンも、ついた嘘が、真実であるかのように、いつのまにか自分の中ですり替えてしまう。思いを寄せていたコナーの妹ゾーイとも付き合い始め、「コナーの死」によって、思いもよらない春が訪れる。SNSの功績だ。




その一方で、日に日に募る罪悪感が、エヴァンも観ている自分の心もざわつかせる。SNSは、言葉遊びだ。そう思っておけば、全て笑い話ですむが、真実かのように受け止める人が大多数だ。言葉の綾だったとしても、表現によっては、批判の嵐になる。後半になると、SNSにアップされたエヴァンの自作自演の「コナーの遺書」が、思いもよらない批判の的になる。言葉は使い方によって、横柄にも謙虚にも聞こえる。人対人なら会話で誤解が解けるが、SNSはそうはいかない。




結局、炎上したSNSを収めたのは、エヴァンのビデオ謝罪だった。SNSの言葉の羅列は、人の口から出る言葉には敵わない。エヴァンは、その後、今回の発端になったコナーの生前を追う。コナーの家族と、コナー自身に対する謝罪の気持ちの表れだろう。コナーの死によって、何が残されたのだろうか。唯一、コナーが幼い頃遊んだ潰れた果樹園だけが復活した。最後になっても、どこか釈然としない気持ちが残る。死んだコナーは、なぜ死後渦中の人となり、周囲を巻き込む騒動になってしまったのか。




鬱で苦しむ学生たちとその家族の視点と、SNSによって傷つけられた人々の視点と、見方によってかなり違う印象を受けるだろう。泣けるという話も聞いたが、後者の視点で観ていると息苦しいままで終わる。エヴァンとコナーの母役をジュリアン・ムーア、エイミー・アダムスが演じている。主人公以上に、二人のベテラン女優の競演に引き込まれたのは間違いない。




解説

トニー賞で6部門を受賞し、グラミー賞、エミー賞にも輝いたブロードウェイミュージカルを映画化。監督を「ワンダー 君は太陽」のスティーブン・チョボウスキーが務め、ミュージカル楽曲を「ラ・ラ・ランド」「グレイテスト・ショーマン」「アラジン」など大ヒットミュージカル映画に携わってきたベンジ・パセック&ジャスティン・ポールが担当。学校に友達もなく、家族にも心を開けずにいるエヴァン・ハンセンが自分宛に書いた「Dear Evan Hansen(親愛なるエヴァン・ハンセンへ)」から始まる手紙を、同級生のコナーに持ち去られてしまう。後日、コナーは自ら命を絶ち、手紙を見つけたコナーの両親は息子とエヴァンが親友だったと思い込む。悲しみに暮れるコナーの両親をこれ以上苦しめたくないと、エヴァンは話を合わせ、コナーとのありもしない思い出を語っていく。エヴァンの語ったエピソードが人々の心を打ち、SNSを通じて世界中に広がっていく。エヴァン役をミュージカル版でも主役を演じたベン・プラットが演じるほか、ケイトリン・デバー、ジュリアン・ムーア、エイミー・アダムスらが脇を固める。