映画三昧 #2435 ⭐️⭐️* グッバイ・ゴダール!(17) | juntana325 趣味三昧

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ゴダールが、商業映画との決別宣言をした前後の時代を、その渦中の人、ゴダールの元妻アンヌが語る。これは、かなり面白い。彼は、根っからの左翼かとも思っていたが、作品の中では、学生運動に感化されていく彼の姿が、初々しく描かれる。労働者でもないくせに、と罵られながらも、情熱的な革命家として、振る舞う。それは、かなり痛々しく見える




そして、革命とは、まず自己改革だと結論づけ、彼が評価された映画の作品群を自己否定する。後に引けなくなったゴダールは、滑稽でもあり、悲哀でもある。アンヌは、感性豊かな天才の化けの皮が剥がれていく一部始終を、静かに見つめる。





しかし、後半になると、それは自己批判に留まらず、病的なまでに、周囲を批判していく。友達も、仕事仲間も去り、ゴダールは、ただの中年男になってしまった。もちろん、アンヌの愛情も冷め、作風もアドリブ的な「ジガ・ヴェルドフ集団」の陳腐な内容に変わった。革命の結果がこれだったのか。


この商業映画の決別をもって、ヌーベルバーグが終わったとみる人もいるくらい、このゴダールの転身はショッキングだった。「グッバイ・ゴダール」は、アンヌの別離の気持ちもあるが、ヌーベルバーグとの別れも言外に匂わす。さらに、商業映画との決別に伴い、ゴダールの名も捨てたから、その意味も含まれているだろう。




勝手にしやがれ」「気狂いピエロ」など、一斉を風靡した監督が、「そんな映画はクソだ」と言い放ち、自己崩壊していく様は、悲しすぎる。天才の天才ゆえのジレンマだったのだろうか。物語は、この出口のない彼の革命運動で終わるが、この時代を経て、また商業映画に戻ってきた時、傑作が生まれた。吹っ切れたように、分かり易すぎる作品が、彼の考え抜いた結論なのかもしれない。



解説

ジャン=リュック・ゴダールの2番目の妻で、ゴダールの監督作「中国女」の主演を務めたアンヌ・ビアゼムスキーの自伝的小説を映画化。「アーティスト」のミシェル・アザナビシウス監督がメガホンをとり、ゴダールとともに時代を駆け抜けたアンヌの知られざる日々をコミカルに描く。パリの大学で哲学を学ぶアンヌは、もうすぐ19歳。ある日彼女は、映画を変えたと世界中から注目される天才監督ジャン=リュック・ゴダールと恋に落ち、彼の新作映画で主演を飾ることに。新しい仲間たちとの映画づくりやゴダールからのプロポーズなど、生まれて初めての経験ばかりの刺激的な毎日の中で、様々なことを夢中で吸収していくアンヌ。一方、パリの街ではデモ活動が日ごとに激しさを増し、ゴダールも次第に革命に傾倒していく。「ニンフォマニアック」のステイシー・マーティンがアンヌ、「サンローラン」のルイ・ガレルがゴダールを演じる。