映画三昧 #2021 ⭐️⭐️☆ ファントム・スレッド(17) | juntana325 趣味三昧

juntana325 趣味三昧

自分の興味のあることを、自分本位に勝手に解釈するブログです。


「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」のポール・トーマス・アンダーソン監督とダニエル・デイ=ルイスが2度目のタッグを組み、1950年代のロンドンを舞台に、有名デザイナーと若いウェイトレスとの究極の愛が描かれる。「マイ・レフトフット」「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」「リンカーン」で3度のアカデミー主演男優賞を受賞している名優デイ=ルイスが主人公レイノルズ・ウッドコックを演じ、今作をもって俳優業から引退することを表明している。1950年代のロンドンで活躍するオートクチュールの仕立て屋レイノルズ・ウッドコックは、英国ファッション界の中心的存在として社交界から脚光を浴びていた。ウェイトレスのアルマとの運命的な出会いを果たしたレイノルズは、アルマをミューズとしてファッションの世界へと迎え入れる。しかし、アルマの存在がレイノルズの整然とした完璧な日常が変化をもたらしていく。第90回アカデミー賞で作品賞ほか6部門にノミネートされ、衣装デザイン賞を受賞した。




「リンカーン」もそうだが、ダニエル・デイ=ルイスが演じると、彼のために作品が作られたような気がしてくる。この作品の服飾デザイナーも、完璧だ。冒頭から、張り詰めた空気が、独特な美意識を作り出す。


物語が始まると、レイノルズの鋭意な感性は、仕事だけにとどまらず、日常生活にもピリピリとした緊張感を与える。彼の日常生活は、すべて仕事に力を注ぐための準備の時間なのだ。長年同居する姉シリルしか耐えられそうにない。彼の創造を邪魔するものは、排除されていく。冒頭のレイノルズを見ていると、「鑑定士と顔のない依頼」のジェフリー・ラッシュの自信たっぷりの傍若無人ぶりが、ダブってくる。監督・脚本のポール・トーマス・アンダーソンは、ダニエル・デイ=ルイスを主人公に想定してシナリオを書いたのかもしれない。ダニエル・デイ=ルイス」 = 「ジェフリー・ラッシュ」




そして、彼が世紀の出会いをする。アルマとの出会いだ。それは、今まで待ち焦がれていた女性との遭遇だ。しかし、それは愛ではない。彼女が、自分のデザインする服を着せる理想のプロポーションを持っているという意味だ。


この作品で、最高に気に入ったのは、アルマを初めて採寸するシーン。男なら、スーツを誂える時、事細かに採寸された経験があるだろう。この採寸の光景には、惚れ惚れしてしまう。手際の良さもさることながら、次々と読み上げられる数字は、計測するというより、自分が目測で採寸した長さを、検算しているかのようだ。こんな職人に採寸され、誂えられたスーツを着てみたくなる。着心地は、生地ではなく、いかにフィットする採寸ができるかに、かかっていると思う。恐らく、今までにない、ジャストフィットの着心地が約束されているに違いない。レイノルズが楽しそうに採寸する様は、まさに目がさめるようなシーンだった。




彼女は、ダメだと分かっていても、いつしか、レイノルズが好きになる。たが、レイノルズにとって、それは創作の邪魔になるだけで、鬱陶しい。そして、彼女は、一計を案じる。毒キノコを使って、レイノルズを中毒にして、それを看病するという、古典的な方法だ。レイノルズは、あっさり引っかかり、結婚するが、レイノルズは、築いてきた創作のためのルーティンを壊され、すぐに結婚は失敗だったと後悔する。この辺のレイノルズの心象風景を、デイ=ルイスは見事に演じてみせる。ストーリー展開は、何となく分かるが、思わず、彼の演技に引き込まれていく




最後の結論は、離婚するかしないかの二つに一つだ。どちらでも、アルマの愛は本物だ。レイノルズが、そのどちらを選択するか?愛を受け入れるか、拒絶するか、彼は、恐らく、相当迷ったに違いない。年齢的に、素直に愛を受け入れて、何もかも、今までの人生をリセットする勇気は、なかなか湧いてこない。アルマが台所で、また怪しげなキノコをバターでソテーしている。それを知ってか知らずか、レイノルズは、それを黙々と食す。しかも、彼はバターは嫌いだ。その瞬間、彼はアルマの愛を受け入れた。例えは悪いが、「毒を食らわば皿まで」。アルマの愛情の押し売りに、ヤケクソ気味に受け入れた感もあるが、この男女の機微は、まさに究極の愛の交歓と言うべきかもしれない。大人の恋愛は、海よりもまだ深い。