マイレージがたまって、またまた1ヶ月のフリーパスポートをゲット。となると、普段有料では観ない作品を観てみたくなる。最初に選んだのがこの作品。
しかし、舐めてかかると、意外や意外の作品だったりする。この作品も、お金を出しても損はしない。筋書きは、どこか既視感を覚える。「永遠の0」を彷彿させるような内容だからかもしれない。戦後70年以上経ても、その影は、なおも現代に及ぶ。歴史を遡るストーリーは、自ずとそんな印象で終わる。
いつもそうだが、料理映画は、採点が甘くなる。冒頭の冬瓜のあんかけ、あゆの春巻き、餅入りのロールキャベツ、キャビア和えのうどん などなど完成した料理は、その作られる段階から、すでに美味だ。根が食いしん坊だから、この料理は、どこかで食べられないものかと思いを巡らせたり、餅を入れてロールキャベツを作るなら、自分でも出来そうだなどと、変な風に思いを巡らせる。
そこに絡んでくるのが、独善的な料理人佐々木充。二宮和也のイメージでは、弱い気もするが、後半の人情物の展開になると、照準が合ってくる。二宮和也というと、どうしても「母と暮せば」の吉永小百合の息子役がダブってしまう。さらに、山形役の西島秀俊も、料理に対する非情さという面で甘すぎる気がする。
充は、早くに肉親を失い、自分のアイデンティティが見つからない。ただ、天才的な味覚が唯一のアイデンティティだ。その彼が、物語の中で、時空を超えて、自分探しの旅をする。(途中から結末はおぼろげながら見えてくるが)なぜ、彼が超人的な味覚の持ち主なのか、そして、なぜ、一人ぼっちなのか、それが解明された時、彼の命に託された、沢山の人達の思いが、彼の胸に飛び込む。積み上げられたレシピに対する、多くの人々の情念は、畏怖さえ感じさせる。
料理とは、元来、お金を貰って食通を唸らせるために作られるものではなく、家族や友人の笑顔のために作られるものなのだ。あまりにも、ヒューマンドラマすぎて新鮮味に欠ける所もあるが、ラストは、少なからずジーンとくる。