juntana325 趣味三昧

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自分の興味のあることを、自分本位に勝手に解釈するブログです。

映画鑑賞は、ほぼ映画館派。
DVDプレイヤーを持っていないので…。

味気ないが
プレゼントなどされたDVDはPCで鑑賞。

忙しくなって映画館に通えなくなったら
宝くじを当てて
4Kプロジェクターで映画を観たい。


映画評価 は以下の通りです
もちろん自分本位の勝手な主観なので
あまり参考にならないかもしれません。



⭐⭐未満-no good
⭐⭐-acceptable
⭐⭐+α-good
⭐️⭐️*-very good
⭐⭐☆- Excellent
⭐⭐★-outstanding
⭐⭐⭐-perfect!
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抗うつ薬を飲み飲み暮らす主人公の様子で始まる。時間と共に、ストレスは、降り積もる雪のように彼の心に積もり、観ている方も息苦しくなってくる。ミュージカルだが、かなりヘビーな鑑賞になりそうだ。




そんなエヴァンは、心の病を抱えるコナーにとって、ストレス発散の対象でしかない。もう一人の主人公はコナー。主人公といっても最初の数十分にしか登場しないし、セリフもほとんどない。なぜなら彼は、自殺してしまうからだ。


ここからが、SNSの功罪が始まる。カウンセリングの一環でエヴァンは自分に宛てた手紙を書く。ところが、それをコナーに持っていかれ、あろう事か、ポケットに入れたまま彼は自殺してしまう。遺族には、まるでコナーが親友に宛てた遺書のように受け止められてしまう。薬物中毒だったコナーに親友がいたことに驚く遺族。とうとう悲嘆する遺族が、嬉々とする姿に、エヴァンは真実を告げられなかった。




そのことが引き金になって、変わり者で、友達もいないコナーが、心を病んだ人々の救世主かのように祭り上げられる。エヴァンも、ついた嘘が、真実であるかのように、いつのまにか自分の中ですり替えてしまう。思いを寄せていたコナーの妹ゾーイとも付き合い始め、「コナーの死」によって、思いもよらない春が訪れる。SNSの功績だ。




その一方で、日に日に募る罪悪感が、エヴァンも観ている自分の心もざわつかせる。SNSは、言葉遊びだ。そう思っておけば、全て笑い話ですむが、真実かのように受け止める人が大多数だ。言葉の綾だったとしても、表現によっては、批判の嵐になる。後半になると、SNSにアップされたエヴァンの自作自演の「コナーの遺書」が、思いもよらない批判の的になる。言葉は使い方によって、横柄にも謙虚にも聞こえる。人対人なら会話で誤解が解けるが、SNSはそうはいかない。




結局、炎上したSNSを収めたのは、エヴァンのビデオ謝罪だった。SNSの言葉の羅列は、人の口から出る言葉には敵わない。エヴァンは、その後、今回の発端になったコナーの生前を追う。コナーの家族と、コナー自身に対する謝罪の気持ちの表れだろう。コナーの死によって、何が残されたのだろうか。唯一、コナーが幼い頃遊んだ潰れた果樹園だけが復活した。最後になっても、どこか釈然としない気持ちが残る。死んだコナーは、なぜ死後渦中の人となり、周囲を巻き込む騒動になってしまったのか。




鬱で苦しむ学生たちとその家族の視点と、SNSによって傷つけられた人々の視点と、見方によってかなり違う印象を受けるだろう。泣けるという話も聞いたが、後者の視点で観ていると息苦しいままで終わる。エヴァンとコナーの母役をジュリアン・ムーア、エイミー・アダムスが演じている。主人公以上に、二人のベテラン女優の競演に引き込まれたのは間違いない。




解説

トニー賞で6部門を受賞し、グラミー賞、エミー賞にも輝いたブロードウェイミュージカルを映画化。監督を「ワンダー 君は太陽」のスティーブン・チョボウスキーが務め、ミュージカル楽曲を「ラ・ラ・ランド」「グレイテスト・ショーマン」「アラジン」など大ヒットミュージカル映画に携わってきたベンジ・パセック&ジャスティン・ポールが担当。学校に友達もなく、家族にも心を開けずにいるエヴァン・ハンセンが自分宛に書いた「Dear Evan Hansen(親愛なるエヴァン・ハンセンへ)」から始まる手紙を、同級生のコナーに持ち去られてしまう。後日、コナーは自ら命を絶ち、手紙を見つけたコナーの両親は息子とエヴァンが親友だったと思い込む。悲しみに暮れるコナーの両親をこれ以上苦しめたくないと、エヴァンは話を合わせ、コナーとのありもしない思い出を語っていく。エヴァンの語ったエピソードが人々の心を打ち、SNSを通じて世界中に広がっていく。エヴァン役をミュージカル版でも主役を演じたベン・プラットが演じるほか、ケイトリン・デバー、ジュリアン・ムーア、エイミー・アダムスらが脇を固める。



AIがSFから現実のものとなり、近未来の行方が気になり始めた。映画の中では、「ターミネーター」に追随する様に、もっぱら人間はコンピュータに支配される。この作品も、そんな雰囲気が最初から漂う。またか…と思いながら観ていると、最後は、こういう希望的観測の未来だってあるはずだと少し安堵する。


物語は、瀕死のウィルが、コンピュータの中で生き続けられるか、という近未来の命題に始まる。量子コンピュータ、ナノテクノロジー、ISP細胞、AIなど、今や現実味を帯びた技術が、スクリーンに映される。そして、次のテクノロジーは、人間の意識をコンピュータにアップロードするというものだ。これは恐ろしい。人間の死が、果たして、肉体的なものと精神的なもの、どちらを指すのか、根源的に見直さなければならなくなる。




もちろん、それは成功する。ウィルは肉体を離れ、PINN(コンピュータ)内部で蘇った。しかし、問題は、彼が本当にウィルなのかどうかだ。PINNの成りすましかもしれない。疑心暗鬼の状況は、ラストまで引きずる。しかし、その真偽のミステリーが、この作品の全てかもしれない。


ウィルが、PINNに移植され、拠点を移して数年が経つと、その周辺は、PINN王国になっていた。もちろん、妻エヴリンは、何不自由なく暮らしている。日々、ウィルが様々なサービスを開発し提供する。それは、ナノテクノロジーから遺伝子工学にまで至り、人間の治療、再生までも可能にしてしまう。




ここまで来ると、漠然とした不安が湧き上がる。ウィルの友人だったマックスをはじめFBIが、ウィルの行動を止めようとする。果たして、ウィルは、コンピュータの成りすましなのか、それともエヴリンの良き夫なのか。


こういう時、必ずクライマックスは、前者で馬脚をあらわす。一癖あるジョニー・デップだったから、尚更念を押されている気がする。ところが、この作品は、後者だった。僕たちの理想の世界を作るためだと言って、ウィルは活動を停止する。彼は、コンピュータにアップロードされても、エヴリンを愛する夫だった。


ラストは、PINNが停止したおかげで、ネットで繋がっていた世界中のコンピュータがダウンする。しかし、ウィルが世界中に撒いたナノテク粒子が、水を浄化し続ける。これもウィルの愛のおかげだ。コンピュータやAIでは地球は救えない。救えるのは愛だけだ。それがAIの結論なのかもしれない。




解説

ジョニー・デップが主演、クリストファー・ノーランが製作総指揮を務め、「ダークナイト」「インセプション」などノーラン作品の撮影監督を務めてきたウォーリー・フィスターが長編初メガホンをとったSF大作。人類の未来のため、意識をもったスーパーコンピューターを研究開発している科学者ウィルは、反テクノロジーを掲げる過激派組織の凶弾に倒れるが、妻のエヴリンによってウィルの脳はスーパーコンピューターにアップロードされる。消滅するはずだったウィルの意識はコンピューターの中で生き続け、やがてネットワークの力によって地球上のあらゆる知識を手に入れ、予想もしない進化を始める。



この事件は、まだ記憶に新しい。国連改革が、大きく叫ばれるきっかけになった事件だ。いつもそうだが、一つの事件が全てではない。この汚職事件だけが、国連の最初で最後の汚点ではなく、連綿と続く汚職の一つに過ぎないということだ。この事件が、さらに問題を大きくしたのは、その後のイラク侵攻、フセイン政権崩壊、不安定な中東情勢と、現代的な課題に繋がっていくからだ。




人々のために何かしたいという外交官志望のマイケル、情熱と使命感に燃えている。その彼が、国連に入る。彼にとって、歓喜と活躍の場が与えられた一瞬だった。しかし、入ってみると、どうも様子がおかしい。最初から怪しいのが、上司のパシャ。これをベン・キングスレーが演じるから、混沌としてくる。「ガンジー」の印象も強いが、「シンドラーのリスト」最近では「しあわせへのまわり道」など、善人役が多い。一方、「アウトバーン」や「セルフレス」などでB級アクションでみせる狂気の悪人役も捨てがたい。この作品の役柄は、どちらなのか?話の筋書きよりも、それが気になって仕方がない。マイクルの方は、自力で事件を解明してるというより、むしろ何だか、誰かに誘導されているようにも見える。




「事実に基づく」という通り、結末は大体分かり切っているが、この手の作品は、脚色している事も少なくない。しかし、この作品は、本当にど真ん中に直球を投げこむ。ひねくれた言い方をすると、それが面白味を欠いている。ベン・キングスレーは、ただの金に群がるいかれた国連職員パシャで終わってしまった。果たして、この事件が国連中心のものだったのか、もっとエンタテイメント的なミステリーが欲しかった。




それに個人的には、ジャックリーン・ビセットに、もう少し役柄を与えてあげられなかったのか残念。確かに、あまり上手ではないが。主人公マイケルも役不足は否めないし、謎の女性ナシームも、情熱的な活動家には見えなかった。戦争や内紛を起こすのは、もしかしたら、一部の金持ちの懐を肥やすためなのかもしれない。その懐に入る金も、元を辿れば、国民の税金であり、搾取されるのは、いつも格差の底辺にいる人々だ。一連のイラク侵攻に潜む真実は何だったのか、それは相変わらず霧の中だった。




解説

国連史上最悪の政治スキャンダルといわれる汚職事件を描いたポリティカルサスペンス。原作は、元国連職員の作家マイケル・スーサンが自身の体験を基に執筆した小説で、人道支援のための「OFFP(石油・食料交換プログラム)」の裏で行われていた不正を描いた。2002年、国連事務次長の特別補佐官に任命されたアメリカ人青年マイケルは、国連が主導する「石油・食料交換プログラム」を担当することに。それは、クウェート侵攻に対するイラクへの経済制裁の影響で貧困にあえぐイラクの民間人を救うための人道支援計画で、国連の管理下でイラクの石油を販売し、食料に変えてイラクの国民に配るというプロジェクトだった。しかし、そこにはフセイン自身や、国連を中心とした世界各国の企業や官僚機構が深く関わっており、それがやがて巨額の汚職事件へと発展していく。監督は「ストックホルムでワルツを」のペール・フライ。「ダイバージェント」シリーズのテオ・ジェームズが主演のほか、製作総指揮も務めた。