【伊達さゆり】「手さぐりの旅」が好きという話。 #2 | 「じゅん通信」

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今回はFebriで連載されている「手さぐりの旅」の第5〜8回の感想をつらつらと書いていこうと思います。

前回のこのブログでは、「手さぐりの旅」の第1〜4回について触れました。

 

 

本ブログの構成は以下。

 

■第5回:あいみょん「RING DING」

■第6回:ゆず「ヒカレ」

■第7回:アイナ・ジ・エンド「はっぴーばーすでー」

■第8回:YOASOBI「アドベンチャー」

■伊達ちゃんに「手さぐりの旅」という曲を歌って欲しいという話。

 

 


 

  第5回:あいみょん「RING DING」

 

 

 

 

 

昭和レトロ喫茶セピアで撮影した第5回。

写真で僕が気に入ってるものは、中編5枚目の銃担ぎショット、後編2枚目の右目だけ見えているショット、後編3枚目の梅宮辰夫像に挑んでるショットの3枚です。遠近法でトリックアートみたいになってるのセンスありすぎだろ。

 

基本的に前編からキメ顔が多く笑顔が少ない写真ばかりですが、中編でクリームソーダを前にして口角が上がり、後編になるにつれてネタっぽくなってるのが全体を通してグラデーションになっていて良いなと思います。

 

インタビューで興味深いと思った箇所は、中編の「あいみょんさんというブランド」、後編の「悩んでいると考えが幼くなる」、後編の「経験という引き出し」の3つです。

 

ブランディングの話、確かにあいみょんってあいみょん以外の何者でもないなって思います。あいみょん以外の何者もあいみょんになれないみょん。ふと思い出したのがこれで終わり。

 

 

これは粗品が悪い。引用した俺も悪い。

誰もが誰かになれないのだけど、芸能で生きる人は強烈なブランディングが求められるんだろうなって思います。

 

悩んでいると考えが幼くなる話、伊達ちゃんの素顔が見られた気がして、読んでいて嬉しくなりました。機嫌悪いことを察してほしい伊達ちゃんかわいいね。僕も悩んでいると考えが安直になって支配されるので、共感したポイントでした。

 

経験という引き出しの話、これはどんな人にも当てはまると思います。自分が知らない世界を表現することは出来ないし、アウトプットの質はインプットの量と質に比例します。特に伊達ちゃんの場合は歌声という偽れない媒体で表現をする人なので、人一倍大事になるポイントなのかなと思いました。こういう真面目な話すき。

 

前編でアイドリングしながら中編・後編で真に迫っていく構成は「手さぐりの旅」らしいですね。以上が第5回の感想です。

 

 

 

  第6回:ゆず「ヒカレ」

 

 

 

 

 

食と緑の空中庭園で撮影した第6回。

白と光が基調になった世界の中で、伊達ちゃんのポニーテールが映えます。

 

写真で僕が気に入っているのは、中編4枚目の歯を見せて笑っているショット。後編2枚目のカメラに指を向けているショット。後編3枚目のガチ恋距離です。

 

中編4枚目の伊達ちゃん、伊達ちゃんらしい目元をしていて好きです。自撮りとか、かしこまった写真だと見れない自然な笑顔の目元。伝わる人には伝わるはず。後編3枚目はさすがの僕でも熱量とか関係なく好きになるアレしてる(?)

 

ベンチで隣からのアングルで撮るなら、少し上から撮って欲しかったというのはありますね。その方が身長差でリアルになるので。何の話?

 

インタビューで興味深かったのは、後編の「私を客観的に見る私」の話です。

伊達ちゃんが小さい時から、客観的に自分を見る伊達ちゃんがいるとのこと。自分の行動や選択に対して疑問を投げかけるもうひとりの自分。伊達ちゃんは自己解決をしていて、その原因は「自分の行動に自信がないから」と答えを出しています。

 

自分の行動・選択に自信を持つ方法って何なのでしょう。僕は、自分の中の絶対的なルールを設けることだと思いました。

選択で迷った時は、そのルールに照らし合わせて考える。その結果もし失敗したとしても後悔はしない。その選択は「決定論的な世界」による必然だと諦める。

 

僕は選択の時の自分に一任しています。例えば開催されるイベントに参加するか迷い、参加しなかったとする。その瞬間に、イベントに参加した僕はこの世界に存在しなくなる。存在しない僕のことを考える必要はない。参加しなかった僕だけが世界に存在し、進行する。それが僕のルールです。

 

ちなみにLiella!4thLIVE、どの公演に参加するかまだ決めていません(照)。過去のLiella!のLIVEに参加して得られた満足度という実績から決めます。この選択もきっと後悔はしないでしょう。

 

 

 

  第7回:アイナ・ジ・エンド「はっぴーばーすでー」

 

 

 

 

 

スタジオでの撮影となった第7回。

お気に入りの写真は後編の2枚目です。これは僕の好みの問題だけど、第7回のお写真は全体的に刺さりませんでした。伊達ちゃんのおじいちゃんお誕生日おめでとうございました。

 

インタビューで興味深かったのは、中編の「答え合わせとしてインタビューを読む話」と、後編の「自分にしか感じられないことが、自分にしか表現できないことのきっかけである話」です。

 

僕はインタビューを読み込んで自分の考えを言語化してブログに書く、というのを大学生の頃からやってきていたので、この中編の話は興味を抱かざるを得ませんでした。

伊達ちゃんの場合は「先に曲を聴く→自分の考えを抱く→インタビューで答え合わせする」というフローのようです。基本的に外れていることが多いらしいですが、当たっているか外れているかは本質ではないのでは?と思っています。

 

アーティストが、楽曲に想いAを乗せて届ける。

その楽曲を聴いたファンが、想いBを受け取る。

この場合、想いAが正解で、想いBは不正解でしょうか?

そんな訳がありませんよね。解釈に正解も正義もない。その楽曲は想いAも想いBも与えられるし、抱けるものであるというだけです。そこまで楽曲は不自由ではない。

 

伊達ちゃんは「でも、自分が思っていた答えと全然違っていたからこそ、もっと深いことを知りたい、と考えるようになったのかもしれないです。」と話していて、頷きすぎて光速に達しました。解釈が同じだったら、ある意味そこで終わりなんですよね。違うからこそ差分を認識して、興味が生まれる。良い。

 

後編の「自分にしか感じられないことが、自分にしか表現できないことのきっかけである話」は、まさにその通りだと思います。オリジナルのインプットから、オリジナルのアウトプットは生まれる。それがやがてその人らしさ・ブランドにも繋がっていくのかなと思いました。

 

僕は伊達ちゃんの声、好きです。

 

 

 

  第8回:YOASOBI「アドベンチャー」

 

 

 

 

 

浅草花やしきで撮った第8回。

今回ブログで取り上げている第5〜8回の中で、写真部分が1番好きなのは第8回です。

 

特にお気に入りの写真は、前編1枚目のお馬さんポーズ、中編3枚目のスマホのロック画面にしたくなるやつ、中編5枚目のむにーってやってるやつ、中編6枚目の鬼殺隊、後編4枚目のしゃがみ敬礼です。多すぎ。

衣装も場所も表情も、伊達ちゃんの良さ・魅力を120%に引き出せているのが良いのかなと思います。ポップでカジュアルでキュートな感じ。良い。

 

インタビューで興味深かったのは、後編最後の「本当にここに来れて良かったな」のフレーズについての話です。

歌詞では「USJ」を指してると思うのですが、その部分を拡張して伊達ちゃんは「自分が選んだ道の先」と捉えて「こういうフレーズを本心から言えたらいいな」と思ったらしいです。

 

人生における「到達点」ってどこなんでしょうね。

何か大きなことを成し遂げた時とか、大きなライフイベントを迎えた時なのでしょうか。伊達ちゃんの言う「私に生まれてきてよかったな」と思える瞬間が来るとしたら、それはどこなんだろう?と考えていました。答えは出ません。

 

 

 

ついツッコんでしまいましたが、これは「最後まで喋らない」が正解です。最後に笑顔で喋り始めて無理にオチを付けに来たら興醒めだったので、安心しました。(?)

 

 

 

以上が第5〜8回の「手さぐりの旅」の振り返りと感想でした。

第1〜4回と比べると、さすがに伊達ちゃんが切れるカードが少なくなってきたかな?という印象を受けます。ちょっとインタビュー要素が物足りなくなってきました。

 

でも写真や衣装による世界観、見せ方、ネタに走る要素、FebriTwitterでの動画などで色んなことに挑戦してることが分かります。手さぐりの旅そのものも、まだ手さぐりなのかもしれないですね。連載が続く限り温かく見守っていきます。

 

8回連続で僕が知らない楽曲がテーマになっていますが、僕の知らない世界や感覚を教えてもらってるスタンスで読んでいるので苦じゃないです。僕が好きで聞いてる曲、伊達ちゃんは聞いていなさそうですしね。次回も楽しみにしています。

 

 

 

 

 

  伊達ちゃんに「手さぐりの旅」という曲を歌って欲しいという話。

 

本ブログで僕が1番発信したかったこと。

「手さぐりの旅」は、今の伊達ちゃんを表すのにぴったりなフレーズだなと思っています。

 

伊達ちゃんはなりたい像や進みたい道を最近は明言してなく、直近では仙台の番組や東京の舞台に出演するなど、色んなものに手を出して頑張っている人。

伊達ちゃんは、今がちょうど「手さぐりの旅」の道中にいる人なのかなと思いました。

 

連載:手さぐりの旅は、伊達ちゃんが色んな楽曲に触れて、色んな場所に行き、色んな衣装を着て、色んな構図で創られているもの。そんな8種の世界で唯一共通しているのは、「伊達さゆりらしさ」だと解釈しています。

 

伊達ちゃんならではの感性が、インタビューの中で言語化されていく。楽曲の話だけでなく伊達ちゃんのパーソナルな話を深ぼることで、見えてこなかった伊達ちゃんの一面が浮き彫りになっていく。連載:手さぐりの旅の醍醐味はそこにあるのかなと思っています。

 

【連載:手さぐりの旅】を通して分かるのは、伊達ちゃんならではのインプット。

【楽曲:手さぐりの旅】を通して、伊達ちゃんならではのアウトプットを期待したいです。

伊達ちゃんが歌に対してどう向き合っているのか、何を考え抜いているのか、全部「歌」にして届けて欲しい。僕が伊達ちゃんに期待していることはこれです。

 

 

まあでもこれは、僕の勝手な期待・願望でしかありません。でも良いですよね。応援するって期待することなので。期待できない人を応援する気はありません。

自分の力が及ばない誰かに期待する行為はリスクな気もするけど、その酔狂な趣味こそが「ファン」なのかなとも思っています。

 

これからも「手さぐりの旅」を楽しみにしています。その旅の中で手にした何かを期待しています。それでは。