テラス窓に掛かるカーテンの隙間から朝日が差し込んでいた。
ジョンインが目を開けるとムギョルはベッドの上に居なかった。
時計の針は朝の八時を少し過ぎたところを差していた。
予想はしていたので、驚きはしなかったが、
ムギョルが傍らに居なかったことにジョンインは軽く溜め息をついた。




明け方、ジョンインがふと目覚めてしまった時、
傍らにムギョルの寝顔があった。

寝顔は幼いんだな…

ジョンインの方に向けられた寝顔は穏やかで、
仄かに照らすルームライトの灯りを受けたその顔は無垢な子どものようでとても美しかった。
昨夜の妖艶さとは裏腹なムギョルの寝顔をジョンインは暫く見惚れていた。


昨夜…


涙を流しながら達したムギョルは、
目隠しを外してやると、
堰を切ったようにジョンインを激しく求めてきた。
ガンペに抱かれているつもりなのか、
それとも、死んだ恋人への報われない思いを振り切りたいのか、
ジョンインの上になり細い腰を揺らすムギョルは
さながら妖婦のようにジョンインを翻弄した。
最後には、後ろからジョンインを受け入れ、
白い裸身を仰け反らせて果てたムギョルは、
そのまま落ちるように眠ってしまった。



何とは無しに、自分の横に僅かに残るシーツの窪みに
ジョンインは手を這わせた。

慰める為だけの行為…
一夜だけの出来事…

ジョンインの頭の中で、
そんな言葉とともにムギョルの白い肢体が止め処なく廻っていた。



ムギョルはペットホテルにティンガの様子を見に来ていた。
ゲージから出されていたティンガが
ムギョルの姿を見つけ、嬉しそうに駆け寄ってきた。
膝を付きティンガを抱き締めたムギョルは、
のしかかってくるティンガの勢いに、
また尻餅をついてしまった。
脚に力が入らない。
自分が昨夜、何をしたかを思い出した。
僅かに疼く下半身は、ムギョルを落ち込ませた。


「ガンペを裏切っちゃった…」


ティンガに向かって呟いてみる。

黒い瞳は無心にムギョルを見詰めてきた。

死んだ恋人の代わりを演じてくれたジョンイン。
ありがとうと言いたい…
それでいて、何か恨み言を言いたいような…
複雑に絡まる感情をムギョルは持て余していた。

ガンペを失ってから、
凍えるような夜を過ごしてきたムギョルには、
ジョンインの誘惑に抗う術は持ち合わせていなかった。
夜毎、抱いてくれる腕を求める浅ましいカラダは限界まで来ていた。

昨夜の彼との行為は、そんなムギョルに
優しく愛しむように抱いてくれたガンペを思い出させてくれた。
それは、切なくも甘美な時間だった。

涙を流すムギョルの目隠しを外したジョンインは
優しく指で涙を拭った。

けれども、目隠しを取られたムギョルは、
今、自分を抱いているのは、ジョンインだと思い知らされることになった。

流された…

ガンペとの甘美な思い出は霧散し、
ただ情欲に支配されたカラダはジョンインとの行為に溺れた。

結局、自分はジョンインとのセッ クスを楽しんだのだ。

ティンガの頭を撫でてムギョルは立ち上がった。
忸怩たる思いを抱えながら、
ジョンインがいる部屋へムギョルは戻っていった。


二人はロビーの横にあるカフェテリアで朝食を取ることにした。

お互い目を合わすことなく無言で料理を口に運ぶ。
そんな気まずい空気を破ったのはムギョルだった。


「今日は、早く戻らないとまずいかな?」


ムギョルの言葉にジョンインは首を横に振った。


「大丈夫ですよ。仕事は明日に回しましたから。」


「じゃあ、もう一度あの浜辺に行きたいんだ。
狭いゲージの中にいたティンガが可哀想だったから…
もう一度走らせてやりたい。」


そうですねとジョンインは浜辺に寄ることに同意した。




砂浜をティンガが走り回っている。
砂を蹴散らせて走る様に、ジョンインはフッと笑みを洩らした。

今回は、二人とも浜へ降りることもなく、
車のボンネットに寄りかかり、海を眺めていた。
爽やかな秋の空気の中、
眺める海は穏やかで、吹き抜けていく海風が
二人の髪を撫でていく。

言葉は無かった。

昨日のことは、うたかたの夢だ。
二人は、言うまでも無くお互いの胸の内にしまった。
多分、誰にも、何処にも晒されることの無い一夜限りの出来事。
けれども、お互いだけは昨日の夜の事を知っている。
そのことが返ってお互いの間に壁をつくったようだった。


帰りの車の中でも、二人は無言だった。

暫くして運転をするジョンインは、
おもむろにムギョルに紙袋を差し出した。


「テイクアウトのサンドイッチとコーヒーです。
今朝のカフェテリアのですけどね。」


ムギョルが紙袋を開けると野菜サンドとハムサンド、
そして蓋付きの紙コップに入ったコーヒーが入っていた。

食べ物の匂いに反応したティンガが後ろの座席からわんと一声鳴いた。

ハムサンドのハムを抜くと後ろを向き、
ムギョルはティンガにハムを食べさせた。

ムギョルは、少し迷ったが、ジョンインに聞いた。


「…あのさ…あんたも食べるだろ?
口に入れようか?」


ジョンインは頷いた。
サンドイッチを二つに千切り、
ムギョルはジョンインの口に入れた。

紙コップの蓋を開けるとコーヒーの香りが車内に広がった。
ムギョルは、もう一つの紙コップの蓋の飲み口を開け、
運転席側のホルダーに置くと、
自分もコーヒーに口をつけた。

それはモカだった。

ガンペの好きだったモカ…

ジョンインの家で出されたコーヒーもモカだった。
ジョンインも好きなのかなと思いながら、
ムギョルはコーヒーを味わっていた。

横目でチラリとムギョルの顔を見たジョンインが言った。


「ムギョルさんは、気が利きますね。
私の婚約者は、横に座っていても飴一つ口に入れてくれません。」


運転を続けながらサンドイッチを食べるジョンインの顔をムギョルは見た。
ちょっと戯けた顔をしたジョンインが
婚約者には内緒ですよと言いながら笑った。

前と変わらない態度で接してくれるジョンインが、ムギョルには有難かった。


「あんたが甘やかしてんだろ?」


いつもと変わらぬ態度でムギョルも返すことが出来た。

また訪れた沈黙…
窓の外を流れる景色を暫く見ていたムギョルが小さな声で呟いた。


「…ありが…と…」


僅かに聞き取れた言葉にジョンインは驚いた。

それは、サンドイッチとコーヒーの礼だけではなかった。

流されたとはいえ、
それでもムギョルはジョンインに癒された。
久しぶりにぐっすり眠れたことは、
紛れもない事実だった。

ジョンインはわかっていた。
強がるムギョルの精一杯の言葉だと…


この一言が、自分の中にムギョルを愛しむ気持ちを芽生えさせた。
そのことをジョンインはまだ気付かずにいた。