北星余市高校の義家先生が、3月で退職されるらしい。
僕が出演していたドラマ「ヤンキー母校に帰る」のモデルとなった高校、先生だけに思いは複雑。
義家弘介氏のホームページによると、
自身の講演、執筆などの活動が、同僚の教師、一部の寮関係者達に理解を得られなくなったとのこと。中には、印税などの妬み、変節したとの中傷などもあったと。
義家氏のホームページしか見ていないので、事実がどうなのかは分からないが、しばらく声を失う。悲しいといえば、悲しい。

北友余市や、吉森先生は3ヶ月で終了しても、
北星余市と、義家先生はそれ以後もずっと続いてゆく。
キリの良いところでエンドマークをつける訳にはいかない。
義家氏が変わってしまったという批判が、ただのやっかみなのかある意味正しいのか、それを判断する立場に僕はない。
ただ、今まで一同僚だった人間が突然チヤホヤされる事へのやっかみも、
現場以外の場所を知る事により少しずつ自分の考えを変えてゆく、深めて行くのも、僕には自然に、ある意味当たり前だとも思える。
水に電気を通せば水素と酸素に分かれるように、そういう”装置”に入ってしまった、事の悲しみではないかと。

勿論その捉え方は、人によって千差万別。
そんな装置を用意してしまったのがあのドラマだったと思えば少し寂しいが。
義家”先生”の卒業が、どうか前向きなものであって、
義家氏個人、生徒、学校にとっても実りある物になるように祈りたいと思う。

ドラマの最終回のラストシーンは、
「これからも生徒、教師達の戦いは続いてゆく」とのナレーションだった。
その戦いが、現場で、続けられなくなった。
その事はやはり、残念で仕様がない。

会社を休んだ。
その事はどうでもいい。
一日、頭をぐるぐると、何かがまわっていた。
というよりは、最近忘れていた事々、大切な事々に
枕頭に立たれた感じ。

一番目につく、分かり易い目印を結んで行って、
そしていつか辿り着いたゴール。
それが自分の目指していた、本当に欲しかった物である保証はない。
毎日精一杯でも、少しずつ軌道がずれて行って、
気づいた時にはもう戻れない、
あるいは違った物を、その手に掴んでしまっている。

小学校の2年生の参観日、国語の授業で。
「下敷き」という詩を発表した事を覚えている。
下敷きはいつも敷かれてかわいそうだと。
酷使され、あるいは誰かを叩く道具として使われ。
その悲しみを嘆く。
そして最後に「僕が替わってあげる程ではないけれど」と結ぶ。

君が替わってあげられる程の悲しみは見つかったかい?
そして君はその悲しみを誰かの代わりに背負えたかい?

会社でネットワークの研修。
パソコンとパソコンをケーブルでつないでみる。
なんかIPアドレスをとって名前を決めて、なんかして、ワークグループ?
DNS、DHCP、DG、SM? APICA?
正直分からない。なんだか大本の部分が。
ついていけない。いかん、お腹も減って来る。
ダメだ…
とりあえず分かったふりしてやり過ごした。

でも皆さんはとても分かっている様子。
「結局自宅で一台サーバー機を作ってネットワーク構築してみるのが一番分かり易いですよねぇ」などと笑い合ってらっしゃる。
いったいそれはどんな結論ですかと問い質したくなる…

あぁ、ネットワーク、ネットワークさん。
遠い、ひたすら。あなたは…