夢を見た。

僕は仕事場にいて、
いつものコーヒーを飲み、
ブザーが鳴るのを待っている。
それは、終了を告げるブザー。
カラカラのビスケットをひとかじり。
手を首の後ろに組んで、
背もたれに体を委せてひと伸び。
椅子がきしんだ音をたてる。
ビスケットが奥歯に挟まった。
それを爪でコリコリと。
終了のブザーはまだ鳴らない。
気だるい、いつもの午後。


それだけの夢。

この夢が、
いったい「どこ」なのか、しばらく分からなかった。
待っているブザーが「なに」の終わりを告げるのか。
僕はいったい何の仕事をしているのか。

ここは、アウシュビッツ、ビルケナウだ。
ブザーは流れたチクロンBが完全に排気された合図だ。
僕の仕事は、ガス室に人間を送り込んで、殺す事だった。


2005年9月3日。
ポーランド、アウシュビッツ・ビルケナウ両収容所を訪ねた。
怖くて怖くて、仕方がなかった。
震えた、歯がガタガタと鳴った。
早く帰りたかったが、帰れなかった。
Kracowからバスでたったの1時間、
なのに世界の果てにいる気がした。
ここと、あの美しいKracowの街が、
地続きであるとは信じられなかった。
ここからの、「帰り方」が分からなかった。


分からなかった。
一体何が、この場所を、このようにたらしめている?

死んだ人の数か?
死に方か?
生きた人間が人間としてでなく「物」として扱われた、だからか?
分からない。
しかしここは明らかに異質。


あの夢の僕は、平気だった。
何百人をガスで殺しながら、
ビスケットに悪態をついていた。
狂気は日常の中に埋もれて、
コーヒーと共に飲込まれていた。
夢じゃない。
スイッチを押した人間は必ずいるのだ。
ガスチェンバーを考えた人間も、
工事した人間も死体を搬出し焼いた人間も。
(それらは同胞のユダヤ人、ポーランド人だったかもしれない)
ガス室にも慣れて、
ビスケットを頬張れる。
そんな夢。

飛行機雲がクロスして「×」を作った。
行き止まり、そう言っている気もした。
何かの目印、そのようにも見えた。







(ここではアウシュビッツ、ビルケナウ両収容所と書きましたが、
上記の体験は全てビルケナウでのものです。
アウシュビッツ収容所は残念ながら観光地化されてしまっています。
ゲートの前で親子で記念写真を撮るような場所。
ガス室でさえ、壁に「ここは祈りを捧げる場所なので静かにして下さい」と注意書きがあるほど。
しかし、ビルケナウ収容所は、当時の姿そのままに残っています。
ガス室はドイツ軍撤退時に取り壊されていますが、
居住棟などはそのまま。
居住棟の扉は「開いて」います。
中のあの匂いは、忘れられません。
アウシュビッツからビルケナウまで歩いて20分。
しかしほとんどの観光客はアウシュビッツだけを見て帰るらしい。
Kracowへのバス車中でバカ騒ぎしていた欧米人は案の上、
「ビルケナウ?それ何?」と言っていました)