最近、祖父の事をよく思う。
父親と出歩く事が多くなったせいだろうか、
僕の父がその背中を見て育った、祖父という人をあまりに知らない自分に気づいた。

記憶の中の祖父。
小学生だった頃、夏休みと正月にはよく父に連れられて祖父のアパートを訪ねた。
当時の僕にとって、祖父を訪ねるというのはとりわけ退屈な行事だった。
話もうまく見つけられなかったし、遊んでくれる人でもない。
しかし、お年玉の「大口取引先」であったので、行かないわけにはいかなかった。

古い四畳半、アブラムシがうようよといた部屋。
ネピアの空き箱にお金を隠していて、そこから一万円札を一枚引き出して包んでくれた。
お年玉をもらうともうすぐにでも帰りたかった、でももらってすぐというのは気まずいだろうと子供心にも分かって、ずっと時計ばかり見ていたのをなんとなく覚えている。
祖父が死んだ時、僕は学校の遠足を休んだ。

父に聞いた、父の父の話。

村瀬秀吉。
横浜生まれ、8人兄弟の末っ子。
名前は太閤秀吉からもらったそうだが「ヒデキチ」と読む。

船大工だった祖父は金を作り、東京に家を買った。
まだ30そこそこだった祖父には彼なりの人生設計があったろう。
しかし突然に、それは破られる。
出征。

船大工だけに海軍だった。
まだ戦争が激しくなる前の頃、台湾や中国、アジア各地を軍艦で周った。
アメリカとの戦争が始まる頃、除隊して故郷に帰ってきた。
一水兵であるよりも一隻でも多くの軍艦を作った方がよいとの国の判断だったのだろう。

祖父の除隊を、家族は懼れていた。
除隊を知らせる手紙が外地から届いた時には狼狽したらしい。
祖父の父親、銀次郎(僕の曽祖父にあたる)が、東京の家を勝手に売っ払ってしまったのだ。
あの秀吉さんの事、帰って来て家のない事を知ったらキレて何をするか分からない、親戚一同はそう口々に噂した。

だが、家がすでに他人の物になってしまっていると聞いた時、
祖父は何も言わなかった。暴れもせず、怒りもせず。
村瀬一族の心配は杞憂に終わった、かに見えた。

祖父の頭に何がどんな風に浮かんでいたのかは分からない。
ただ祖父は、のこぎり一本を持って他人の手に渡ったかつてのマイホームに押し入り、家人の目の前で大黒柱を一本切り倒し、そして持ち帰ったのだ。

大黒柱一本。
大黒柱一本分の、何だったのだろうと思う、祖父の。
時代への怒り、父への憤り、思い出、人生に対してあまりに盲目である事への恐怖…様々な感情。

これから少し、僕のおじいちゃんを辿ってみようと思った。