防府駅前郵便局から10分ほど歩いたところにある…山頭火の生家跡。
 
 
種田山頭火(本名・正一)…明治15年(1882)大地主の長男として、防府市八王子二丁目十三に生まれる。
 
 
明治25年(1892)山頭火が10歳の時に母親が自宅の井戸に投身自殺をし、引き上げられた母の遺体を見た山頭火は大変なショックを受けたといわれ、その後の人生に大きな影を落としていくこととなった。
 
(昔の家の見取り図がありました)
 
早稲田大学に進学するも…神経衰弱のため明治37年(1904)中退し帰郷。のち、市内の大道に移り父親と酒造業を営む。
そのかたわら、荻原井泉水に師事し、自由律俳句を学ぶが家業に失敗して、妻子を連れて熊本に移った。
 
 
大正14年(1925)…44歳の時に出家し、熊本県植木町『味取観音堂』の堂守になるも、まもなく飄然と行乞流転の全国行脚の俳人となった。
 
(山頭火については…案内板や自分が持っている本や句集を参照)
 
〈うまれた家は あとかたもない ほうたる〉山頭火
 
私も…先月久しぶりに生まれ育った家があったところに行って、駐車場になっているのを改めて見た時に…この句を詠んだ山頭火に気持ちが少しシンクロした…。
 
何を求める風の中ゆく
 
あたたかく人も空も
 
空へ若竹のなやみなし
私の好きな句が全てあった( ;  ; )
 
 
この隅に…山頭火が生まれる以前からあったであろう…『猿田彦神』を見つけて嬉しく思う。
 
この先、郵便局を訪ねながら、まぁまぁ歩くので…しっかりと手を合わせて道中の安全を祈りました。
 
 
 
(2023年12月8日訪問)
 
 
 

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