宇佐神宮の駐車場横に山頭火の碑がありました。
 
 
私の持っている山頭火の年譜を見ると…大正14年(1925)に熊本で得度してから、九州、山陽、山陰に向けて行乞放浪の旅へ出て、昭和3年(1928)四国八十八ヶ所を巡礼、小豆島で尾崎放哉の墓参りをして、翌年また熊本に滞在しつつ九州を行乞…とあるので、その時に宇佐神宮を訪れたのですね。
 
 
山頭火の書簡から、宇佐神宮を訪れた時のことを書いたものの抜粋が板碑になっていました。
 
 
 
松から朝日が赤い大鳥居
 
初霜にあとつけて詣でる
 
 
以前、友達にイマ山頭火に興味があって、と言ったら…「山頭火って嫁も子供も捨てて放浪の旅に出た人やろ?」と嫌な顔をされたことがあるのだけれど……その部分だけ見ればね確かに褒められた人じゃないし、嫁子供の立場になれば辛いのだけど…山頭火の子供の頃からの境遇を知ると、何故そんな人生を選ぶことになったのか…とかいろいろ深く知りたくなってしまい、今に至ります(^^)
 
 
 
宇佐神宮の後…遅めの昼ご飯で大分の郷土料理『だんご汁』を食べました(^^)
 
小麦粉を捏ねて薄くのばした『だんご』がたくさん入っていて、出汁がめっちゃ美味しかった♡
 
大分県でだんご汁を食べるのは多分30年ぶりくらい…?だから訪れたのも30年ぶりなのだなぁ…と、少々しみじみしてしました(^-^)
 
 
 
 

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