當麻寺に来るのは何年ぶり……一番記憶に残っているのは30年くらい前に、当時働いていた職場のパートさんに誘われてハイキングを兼ねて行った時か…。
 
 
その時に田圃広がる道でロケ中の原田伸郎さんに会い、一緒に写真撮って握手もしてもらったから印象深い(^^)
 
當麻寺仁王門までは駅から約1キロ。のんびり歩いて約20分で到着(^^)
 
迫力ある仁王像。
 
阿形は修復中でした。
 
 
1400年前、聖徳太子の弟・麻呂親王が創建した万法蔵院(大阪の太子町)からはじまり、白鳳時代に河内から當麻の地に移された。
奈良時代、當麻曼荼羅が表され、平安時代には密教文化が栄えた。中世以降は中将姫伝説の広まりと共に曼荼羅信仰の寺として再興をはたした。
(お寺の案内文を簡単にまとめました)
 
 
歴史が古いので、残っているものも国宝に指定されているものが多数。
国宝の東塔(三重塔)と梵鐘(日本最古)
 
白鳳時代の梵鐘。
 
 
本堂(中央奥)国宝。金堂(左)講堂(右)どちらも重要文化財。
 
金堂、講堂前の石灯籠。
元禄七年甲戌(1694)…奥に見える『食事禁止』の看板にウケる。(過去にこの辺で弁当広げてた人がいてやったりしたんかな…?笑)
 
 
寛文四年(1664)
 
 
本堂
昭和35年(1960)の解体修理の時に棟木に永暦二年(1161)の墨書が見つかり、平安時代末期の建築であることがわかった。
 
(墨書が見つかるまでの、重要文化財だった頃の看板がそのまま立っている…笑)
本堂前の石灯籠…貞享二丁丑年九月廾三日(1685)
 
明和二乙酉六月廾廿三日(1765)
 
 
當麻寺には二つの三重塔が残っています。
西塔…平安時代末期の建築とされ、国の重要文化財。
通常は九つある九輪が八つの構造。
 
美しくもかわいいデザインの水煙
『未敷蓮華』という模様なのだそう。
 
 
国宝の東塔…天平年間(729〜749)の建築。
東塔へ行く道がよくわからなくて&足も痛くなってきて…近くまで辿りつけなかった( ;  ; )
 
 
(今思えば、この古い石燈篭の奥にある階段を登ったところに東塔はあったのだ…( ;  ; )
 
日本最古とされる石燈籠(国の重文)
奈良時代前期の作
(火袋の部分は後世に修復)
 
 
中将姫剃髪所…中之坊
 
當麻寺といえば…中将姫というくらい中将姫の御寺です。
 
 
中将姫は右大臣・藤原豊成の娘で美しく聡明な子でしたが、幼くして母を亡くし、新しくきた継母から虐げられ殺されそうになった為、當麻寺に入り剃髪、尼僧となりました。
(もっと色々あるけれど、端折って書いています)
 
 
中之坊では陀羅尼助を購入。家にあと一包しか無かったので有り難い(^^)
⇧昔は板状でパキッと割って服用していたそうです。
 
私は此方は飲めそうもないので…小さい粒々の方を買いました(^^)ちょっと腹具合の悪い時や胃もたれにも効くし、正露丸ほど臭くない優れ物です(^^)
 
 
當麻寺は弘法大師も参籠し、寺には『参籠の間』が残っている。
當麻寺への訪問は、嵯峨天皇に當麻寺曼荼羅の印義を説く他に、非業の死を遂げ二上山に葬られた大津皇子の魂を鎮めるためでもあったとされる。
 
小さな堂と二上山(右奥)右側の高い雄岳に大津皇子のお墓がある。
 
 
小さな堂の前の石灯籠…元文三年庚午霜月(1738)
 
 
小さな堂の中の仏様。
 
 
参道の道標の横に…大津皇子の姉・大伯皇女の歌⇩涙
 
 
道標のお向かいには…當麻蹶速(たいまのけはや)之塚がある。
第11代垂仁天皇の時代に當麻蹶速と野見宿禰が力比べをし、これが日本で最初の天覧相撲と伝えられている。(日本書紀・垂仁七年七月七日)
 
その時の試合で當麻蹶速は野見宿禰に負け、後に亡くなってしまいますが、地元では大変親しまれ大切に思われています。
築年不詳ですが、立派な五輪塔。
 
五輪塔の後ろに見えるのは相撲館。
入り口にある力士像
 
木彫りの横綱も素晴らしい。
この奥に土俵があります。
 
鉄砲が体験できる『鉄砲柱』…相撲中継見ている時に、花道に続く通路の壁に『テッポウ禁止!』って貼り紙してあるのを思い出しました(^^)
 
大阪府の木材屋さんからの寄付のようです(^^)
 
 
當麻町時代のマンホール☆
平成16年(2004)までは北葛城郡當麻町でした。10月10日に新庄町と合併して葛城市となりました。
 
 
歴史ある佇まいの釜飯屋さん。
 
すごい久しぶりに訪れた當麻寺でしたが…見どころがたくさんあって、素晴らしかった。今度来る時があったら…釜飯か評判の蕎麦を食べたいです(^-^)
 
 
 
 

☆ご訪問ありがとうございます☆彡

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