〈四国霊場第71番・弥谷寺(いやだにじ)〉
 
 香川県三豊市三野町大見乙70
 
百八階段
 
百八階段の手前横の仏たち。
 
百八階段を上がったところにある案内図。
 
 
寺伝によれば…聖武天皇の勅願により行基菩薩が堂宇を建立。光明皇后の菩提を弔うため、大方広仏華厳経を祀ったとされる。
 
元禄九丙子年二月(1696)
 
弘法大師は7〜12歳の期間、弥谷寺の獅子之岩屋で学問に励んだといわれる。大同2年(807)唐より帰国した大師はこの地を再び訪問して獅子之岩屋にて護摩を修し千座満願のとき蔵王権現のお告げにより千手観音を安置し、唐から持ち帰った金銅四天王五鈷鈴と五柄の剣を納め、山号を『五剣山』、仏の住む山である弥山から、仏の谷という意味とされる弥谷に改めた。
 
静かなる弥谷寺つつむ鐘の音
 
 
鐘楼からさらに石段を登る。
 
登り切って(これを登ったのかと)下を見てしまう。
 
 
室町時代には天霧城主・香川氏の庇護を受け、大寺となった。しかし天正期の兵火ににより荒廃し、のちに丸亀城主・京極氏の帰依により、慶長5年(1600)に復興された。
 
宝篋印塔…享保二十乙卯十月(1735)
 
 
慶應二丙寅五月(1866)
 
天霧城の水場
水場の洞窟は仏の住む世界への入り口とされ強く信仰されてきた。扉の奥に枯れることなく水の湧く洞窟がある。
弥谷寺は山全体が霊山ですが…この辺り…なにか…ひときわ空気が違います。
 
大きな五輪塔。
 
さらに階段を登ると見えてくる磨崖仏。
 
約12メートルの岩壁に陽刻。阿弥陀如来、観音・勢至菩薩が温和な表情をたたえている。
 
 
阿弥陀三尊の左右の岩肌には『南無阿弥陀佛』と陰刻された文字が確認できる。
 
 
平安から鎌倉にかけてのものではないかと言われており、或いは弘法大師の作か、とも。
無数の穴は納骨のためのもの。
(説明板を参照)
 
 
この域はなにか…気持ちがキュっと引き締まる空間というか…足を踏み入れ難いなと感じる場所もあった。
ここは…(霊感ないけど)なんとなく…あまり奥に行きたくない感じがしたので、手前から写真だけ撮る。
 
やっと本堂に到着。息がしんどくなってきて…(誰も居なくてひとりの間だけ)マスクを外した。
 
本堂からの眺めは素晴らしい(^^)
呼吸を整えて…下山、大師堂(納経所)へ。
 
 
明和七庚寅三月吉日(1770)
 
右の五輪塔…文政十年丁亥(1827)
 
 
大師堂近くの水盤
水盤の下に少し水が溜まっていて…鳩が水を飲んでいました。(暑いからね…しっかり水分摂って)
 
この上が大師堂。
最後の力を振り絞って上がる。
 
この日(8月9日)は父の命日で…最初の横峰寺からずっと菩提を弔う気持ちで参拝してきた。
 
 
御朱印
書いてもらっている時に…息が苦しくなってきて(このままだとなんかヤバイぞと思い…)いったん外に出てマスク外して呼吸を整えて、戻ったら出来上がっていました。
 
御影
 
 
 
手持ちの水が残り少ない上に温くなっていて、駐車場に戻る手前の自動販売機でキンキンに冷えた水を買い、飲み…生き返った(^^)
 
 
 
 

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