〈四国霊場第51番・石手寺(いしてじ)〉
 
  愛媛県松山市石手2-9-21
 
 
縁起によると…神亀5年(728)に伊予の豪族・越智玉純が霊夢に二十五菩薩の降臨を見て、この地が霊地であると感得、熊野十二権現を祀ったのを機に国家鎮護の道場を建立し、聖武天皇の勅願所となった。
 
翌年の天平元年(729)に行基菩薩が薬師如来を彫造し本尊として開基、安養寺と称した。
石手寺と改称したのは寛平4年(892)の衛門三郎再来の説話によるといわれる。
 
 
屋根付きの参道を進んだ先にある仁王門は国宝。
 
三間一戸楼門、入母屋造本瓦葺き。文保2年(1318)の作。
 
木造金剛力士像は1240年頃の作とされ、鎌倉盛期運慶派の特徴を示すもの。国の重要文化財。
写真は金網越しで伝わりにくいかもしれないけれど…実物は迫力あり美しくもあり素晴らしい仁王様でした。
 
 
階段を登って…
 
大きな五鈷杵の向こうにあるのが本堂。
 
鎌倉末期の作で国の重要文化財。
 
獻燈…萬延紀元歳次庚申夏六月(1860)
 
大師堂
 
大師堂の前の百度石。
百度石の上にある…手のひらに石(石手)が刻まれた奉納品。
百度石…明治十五年午(1860)
 
鐘楼…元弘3年(1333)の建立。国の重要文化財。
 
 
三重塔…鎌倉末期の作。国の重要文化財。
 
鎌倉時代の風格を備え、立体的な曼荼羅形式の伽藍配置を現代に伝える名刹といわれる。
 
仁王門の大草鞋。
1円玉がびっしり!!(^^)
 
 
最後に…石手寺の名の由来になった『衛門三郎再来』の話。
 
四国遍路の祖といわれる衛門三郎は…かつてしてしまった弘法大師への非礼を詫びる為、四国遍路を始めたが、20回四国を一巡しても大師に会えませんでした。それで逆打ちをしてみると、やっと焼山寺の辺りで出会うことができ昔の非礼を詫びましたが、直後に病に倒れてしまい、命が絶えそうになった衛門三郎に大師は「何か望むことはあるか」と尋ねられた。衛門三郎が望んだのは「来世は高野家(伊予を治めていた領主で衛門三郎もその一族)に生まれたい」ということ。その言葉を残して息をひきとると、大師は道端の石を拾い『衛門三郎再来』と書いて左手に握らせた。その翌年、高野家に左手がかたく握られたまま開かない嫡男が産まれ、心配した両親がお寺で祈祷をさせると左手が開き、そこから『衛門三郎再来』と書かれた石が出てきました。
 
弘法大師が衛門三郎の望みを叶えてくれた…という説話から寺の名は『安養寺』から『石手寺』に変わったという。
 
『衛門三郎』と書かれた丸い石と衛門三郎の像。
 
境内に入ったら直ぐのところにあります。
 
 
 
石手寺…いろいろと印象に残る良いお寺でした。
 
 
御朱印
 
 
御影
おんころころせんだりまとうぎそわか
 
 
 
 

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