〈四国霊場第58番・仙遊寺(せんゆうじ)〉
 
愛媛県今治市玉川町別府甲483
 
 
作礼山の山頂に近い標高300mほどの場所にある。
 
新しめだが、迫力ある仁王像。
 
山門近くの石仏。
宝暦十庚辰(1760)
穏やかな表情に癒されます。
 
 
すごく苔むしていた仏たち。
 
お顔だけ残し…苔の衣を纏っているよう。
 
 
創建は…天智天皇(在位668〜671)の勅願により伊予国の国主・越智守興が堂宇を建立したのが始まりとし、本尊の千手観世音菩薩像は(天皇の念持仏として)海から上がってきた竜女が一刀三礼しながら彫り安置したとされる。
 
 
仙遊寺には阿防仙人という僧が40年にわたって籠り、七堂伽藍を整えるなどしたが、養老2年(718)忽然と姿を消してしまったという伝説が残っていて、寺名はその仙人に由来しているそう。
 
 
弘法大師が四国霊場開創の折にこの寺で修法された時に荒廃していた七堂伽藍を修復して再興。
 
 
しかし…江戸時代にはまた廃れてしまった。
 
 
明治初期、高僧・宥蓮上人が山主となり、多くの信者と共に再興に尽力した。
 
 
宥蓮上人は明治4年(1871)日本で最後の即身成仏として入定した人物。
 
 
昭和22年(1947)の山火事で本尊と大師像を除いて焼失( ;  ; )
 
大師堂は昭和33年(1958)の再建。
大師像を拝見できる(^^)
 
本堂は昭和28年(1953)の再建。
竜や鳳凰の彫刻が素晴らしい。
 
美しい千手観世音菩薩像は平安時代の作。
 
大きなお賓頭盧さまの表情は優しい。
 
木彫りの不動明王と板に彫られた仏たち。
とても美しいので、これらを写したお守りでもあったら欲しかったけど、残念ながらありませんでした。
今見てもウットリしてしまう…(^^)
 
 
江戸元禄時代(1688〜1704)の高野聖・真念が設置した石標。
 
真念上人(?〜1692)は『四国遍路道指南(しこくへんろみちしるべ)』を記した四国遍路中興の祖。
土佐の生まれで、遍路巡拝をしない時は大阪の寺嶋で暮らしていたといわれる。
 
(大阪の寺嶋ってどこだろう…前に住んでいた家の近所、鶴見区と東大阪の境あたりに『寺島』という地名があったのだけど…もしそこだったら、なんか嬉しいな…笑)
 
 
御朱印
 
御影
 
 
 
 
☆   ☆   ☆
 
 
 
予報どおり…朝から涼しい。
いや、涼しい通り越して肌寒い(^^)
久しぶりに扇風機もかけず服は薄手の長袖を着ている\(^o^)/
 
暑いより全然良い\(^o^)/幸せ☆
 
 
 
 
 
 

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