〈四国霊場第47番・浄瑠璃寺〉
 
愛媛県松山市浄瑠璃町282
 
 
 
寺伝によれば…和銅元年(708)に布教に訪れた行基菩薩が堂宇を建立して、本尊の薬師如来と脇侍の日光・月光菩薩と十二神将を刻んで安置し開基したという。
 
 
その後の大同2年(807)に弘法大師が荒廃していた寺を再興。
 
 
室町時代には足利幕府の武将・平岡道倚(みちより)が伽藍を整備したが、正徳5年(1715)の山火事で焼失し、天明5年(1785)に住職の堯音(ぎょうおん)の尽力により復興した。
 
大師堂
 
だっこが出来る『お大師さまの誕生佛』というのがあったけれど…畏れ多くて、抱けず…(><)笑
 
 
籾大師
 
イブキビャクシン(松山市指定天然記念物)の根元にある『籾大師』は…実際にお寺にある籾に彫られた小さな大師像を大きく復元したもの。
 
 
 
 
この辺りは遍路の祖といわれる衛門三郎のふる里として知られる。
 
衛門三郎の話…(うろ覚え)…天長(824〜834)の頃、この辺りに住んでいた衛門三郎は財を成していたけれど、欲深く村人から嫌われていた。ある日ひとりの托鉢僧が衛門三郎の屋敷前にやってきたのを、口汚く罵り、僧の持っていた鉢を割ってしまった。
それ以降、衛門三郎の家には災いが起こり、8人いた子供達はみな早逝してしまったという。あの時口汚く罵った僧が弘法大師であった事にようやく気づき、自分の行いを悔い改めて、財産は村人に分け与えて、弘法大師に会うために遍路の旅に出た。
21回目、逆打ち遍路の時に焼山寺の辺りでやっと弘法大師に会う事が出来き、昔の非礼を詫びることが出来たけれど、その地で衛門三郎は亡くなった。(というような話だったと思います)
 
御朱印
 
御影
 
この日(7月21日)最後の霊場。
参拝を終えて納経所に入ったのが16時55分。
 
「今日は暑かったでしょう」と、お寺の方が優しく迎えて下さいました。
 
 
 
 
 

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