〈四国霊場第45番・岩屋寺〉
愛媛県上浮穴郡久万高原町七鳥1468
大寶寺から約10km。
歩き遍路の場合、既に明石寺からの80kmを踏破しているので、10kmは近く感じるかも知れないけれど、実際歩いてみなければ、その気持ちは到底わからないことよ。
駐車場まで車で来ても、この坂道と階段は結構キツかった(><)…正直(富士山も登っているし)坂道は大丈夫なほうだけど暑さが一番堪えたのかな…。
歩き遍路の人達は…10km歩いて更にこの坂を登る。
凄いなぁ。
昭和9年(1934)に復興された山門まで来て「やった〜」と思うけれど…(束の間の幸せ)この先まだまだ…。
愛媛県久米村(現・松山市)の宮大工・窪田文治郎の作。
誰ひとりともすれ違わない参道、倒れたら危ないし、休み休み行くので余計に時間がかかる。
大師像で休み、変わった形の石を見て休み…(^^)
なんだか、奉ってあるように感じたけれど…何かはわからず…(^^)
孤独なので…幟旗が見えて来ただけで妙に嬉しい(^^)
湧き水が若干の清涼感をくれる。
柄杓があったので、肘の辺りから水を掛けてクールダウン。
地面からこんこんと湧き出る水…命の水。
観音様をお参りして、登り坂はまだ続く。
たくさんの仏に見守られて…ただただ進む。
やっと到着…と思った後に更に急な坂や石段が待っているのが四国霊場(^^)
海抜650m、巨岩の中腹に埋め込まれるように堂宇がある岩屋寺。
弘法大師がこの地を訪れたのは弘仁6年(815)、その頃既に土佐の女性が岩屋に籠るなどして法華三昧を成就し、空中を自在に飛行できる神通力を身につけて法華仙人と呼ばれていたという。
(法華仙人窟跡)
登ってみたかったけれど…(梯子の劣化が危ぶまれ)『現在登乗禁止』と書いてあったので諦めた(><)
弘法大師と対面した法華仙人は…大師の修法に篤く帰依し、全山を献上したそう。
大師は木造と石造の不動明王像を刻み、木造は本尊として本堂に、石像は奥の院の秘仏として岩屋に祀り、全山を本尊の不動明王として護摩修法をなされた。
この先に奥の院。
スマホの写真機能の向上ですごく明るく写っているけれど…実際はもっと薄暗く、この向こうに無闇に足を踏み入れるのは怖く感じる空気があった…。
(仁王門)
明治31年(1898)岩屋寺は仁王門と虚空蔵堂を残し、諸資料ともども焼失( ; ; )
仁王門は寛政二年(1790)の建築。
仁王門だけ、くぐる時に何か寒気を感じる凄みがあって、早く通り抜けたい(門の下に留まりたくない)感覚に襲われた(><)
大師堂は…大正9年(1920)の再建。
設計・川口庄一、宮大工・窪田文治郎の作で…随所に西洋建築を取り入れ、伝統的な仏堂建築に新様式を合わせた近代仏堂の代表作といわれている。
国の重要文化財に指定。
しんどかったけれど…ぜいぜい言いながらでも登る価値のある霊場でした。
御朱印
御影
ドヤ顔イケメン(バチ当たるよ…笑)な不動明王様。
御朱印いただいて、山を下ろうとしたら、男性おふたりが汗びっしりでフーフー言いながら登って来られたので、(あと階段ひとつだから)『あと少しですよ』とエールを送り、下山(^^)
あと少しで駐車場…行く時に気付かなかった看板に癒された(^^)
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