〈四国霊場第44番・大寶寺〉
 
愛媛県上浮穴郡久万高原町菅生二1173-2
 
 
第43番札所明石寺からの距離は約80km。
歩き遍路の場合、峠越えの難所が続く『遍路ころがし』に位置する霊場。
 
 
四国霊場のちょうど半分に当たり『中札所』とも呼ばれる。
 
 
縁起によると…大和朝廷(4世紀〜7世紀半ば)の時代、百済から来朝した聖僧が携えてきた十一面観音像をこの山中に安置していたという。
 
 
後の大宝元年(701)に、安芸(広島)から来た明神右京、隼人という狩人が萱菅草の中にあった十一面観音をみつけ、草庵を結んでこの尊像を祀った。
 
ときの文武天皇(在位697〜707)はこの奏上を聞き、早速勅命を出して寺院を建立し、元号に因んで『大寶寺』と号した。
 
 
弘法大師がこの地を訪れたのは弘仁13年(822)密教を修法され四国霊場の中札所と定められた。この時に天台宗であった大寶寺は真言宗に改宗となる。
 
(昭和59年に再建された大師堂)
 
仁平2年(1152)には全山を焼失、保元年間に後白河天皇(在位1155〜58)が病気平癒を祈願して成就され、ここに伽藍を再建し、妹宮を住職に任じて勅願寺となった。
 
(興教大師堂)
 
盛時は七堂伽藍を備え山内には48坊を数えたが、天正の兵火で再び焼失、松山藩主の寄進で復興するも明治7年(1874)に三度目の全焼( ;  ; )
 
本堂は大正14年(1925)の再建。
 
百度石…明治丗三年(1900)
 
 
菅生山大寶寺仁王門
仁王門は…明治以降の再建とは思えない趣きがある。
明治7年の大火で門は焼けたけれど…仁王像は無事だったそうで…(仏の御加護?)
仁王像は…享徳4年(1455)に越前の大仏師『法眼』の作とされる。
金網越しで迫力が伝わり難いけれど、カッコいい仏像でした。
 
熱中症アラートが出ていたので暑かったけれど、山からの清水にちょっと救われる。
 
参道の仏様たちにも癒されて歩く。
 
 
 
 
大寶寺…良いお寺でした。
暑くなかったら…もっとゆっくり見てまわりたかった。
 
 
 
☆   ☆   ☆
 
 
 
大相撲…宇良が初日黒星スタートの後、3連勝で嬉しい(^^)
今日は20年ぶりの決まり手『伝え反り』で、場内破れんばかりの拍手に包まれていて、(暑くて体調あまり良くないなか)元気をもらいました(^^)ありがとう♡
 
 
 
 
 

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