〈岩屋山古墳〉

近鉄・飛鳥駅から約160m。
歩いて直ぐ(^^)


終末期古墳(7世紀前半)

階段を登ると石室入口が現れます。


明治時代にはイギリス人のウィリアム・ゴーランドが来村し、岩屋山古墳の石室を調査して…「舌を巻くほど見事な仕上げと石を完璧に組み合わせてある点で、日本中のどれひとつとして及ばない」と紹介している。


『舌を巻くほど見事な仕上げ…』の石室に入ります( ドキドキ )

完璧に組み合わせてある石。

昭和53年の調査では、墳丘は一辺約40m、高さ約12m、2段築成の方墳で墳丘は版築(土を建材に用い強く突き固める方法)で築かれており、下段テラス面には礫敷が施されていることが明らかになった。

石英閃緑岩(飛鳥石)の切石を用いた南に開口する横穴式石室(全長17.18m、玄室長4.86m、幅約1.8m、高さ3m)。

石室内からは…土師器、須恵器、瓦器、陶磁器、古銭などが出土。



被葬者については…斉明天皇や吉備姫王が候補に挙げられている。

現在、斉明天皇の御陵は…明日香村の隣り高取町に宮内庁指定のものがあり〈日本書紀に天智天皇6年(667)斉明天皇と間人皇女を小市岡(現在の越智岡)上陵に合わせて葬せり〉とあることによる。


岩屋山古墳の山頂からの景色。


この古墳の被葬者候補に挙げられている吉備姫王陵が欽明天皇陵と並んで見えています。

ハッキリしても楽しいし、ハッキリしなくても想像が膨らんで楽しいのが考古学のロマンですね(^-^)


 

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