〈中門〉


高野山開山当時は結界の意味が強い鳥居状のものであったようですが、焼失と再建を繰り返しながら、五間二階の楼門へと変化した。
天保14年(1843)の焼失の後は再建されず、礎石だけが露出した中門跡として痕跡を残していたのですが、平成27年に再建された。

〈持国天〉


門に配置された持国天と多聞天は文政3年(1820)の再建時のものが残っている。


〈多聞天〉

よくぞ焼けずに残ってくれました(^-^)


しかし、何度も何度も焼失しては根気よく再建されたものが多いです。

その時代その時代の人々の信仰心の賜物ですね(^-^)

 

 

 

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