高野山で発見すると、テンション上がるもののひとつに町石があります。

大門の手前で…慌てて車の中から撮った割にちゃんと写っていた\(^o^)/

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〈高野山町石〉
弘法大師が開山した平安時代頃は木製の卒塔婆であったといわれており、風雨に曝されるなどして老朽化した為、鎌倉時代の文永2年(1265)頃に遍照金剛院の覚きょう上人が(弘法大師の夢告により)石造の町卒塔婆建立を発願し、20年の歳月をかけて弘安8年(1285)に完成した。
それらの町石は御影(兵庫県)で切り出された花崗岩を使い作られた。

(六時の鐘の袂にあった四丁石)
町石は単なる道標ではなく、壇上伽藍からの距離(町数)のほか、密教の金剛界三十六尊及び胎蔵界百八十尊の梵字、寄進者の名前、立年月日、目的などが彫り込まれ町石自体が一体の仏を表しているとされ、かつては高野巡礼の人々は町石のひとつひとつに手を合わせて礼拝しながら登っていたのだそう。
現在216基の町石のうち179基については建立当時のものがそのまま残っている。( 一丁=約109メートル)

( 壇上伽藍・愛染堂の前にあった町石 )

( 根本大塔から奥の院へ向かう道にあった町石 )

( 奥の院の入口・一の橋にあった町石 )

( 弘法大師御廟へ向かう道にあった町石 )
安永六年(1777)作

文永四年( 1267 )作
壇上伽藍・根本大塔

町石は壇上伽藍・根本大塔から九度山の慈尊院まで180基。根本大塔から弘法大師御廟まで36基。
いろいろ勉強して…九度山から壇上伽藍までの町石道22kmを歩いてみたくなりました(^-^)
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