住宅地の角を曲がったら…こんなところに?という場所にある畠山政長の墓。

畠山氏は室町幕府三官領の一として、代々尾張守に任ぜられ、山城、河内、紀伊、越中の守護も兼ねていたそう。
( 案内板を参照 )

柵の扉は開いていて、誰でもお参りできます。

政長は管領・畠山持国の甥にあたり、持国の実子義就との家督相続争いは応仁の乱(1467〜1477)の一因となった。
( この石だけ、なんか古そう )

天文元年(1532)とあります。室町時代後期ですね。
( きれいな花が供えられていた)

政長、義就の確執は長年にわたり、畿内各地で争ったが、文明14年(1482)政長は将軍足利義稙(よしたね)と共に正覚寺に本拠を置いて誉田の義就と対陣した。義就の死後、河内の平定に乗り出したが、明応2年(1493)義就の子・義豊の逆襲に遭い、敢えなく敗北した。
この戦いを正覚寺合戦という。( 案内板参照 )

畠山政長の墓は味わいのある五輪塔。

五輪塔の横には欠けた石仏達が寄り添うように集められていた。

他にも敷地内にいろいろ祀られている。
度々出てくる正覚寺というお寺は、その昔は弘法大師開基の真言宗の大伽藍であったが、この正覚寺合戦で消失。
今はお岩地蔵尊の近くに小さなお寺がその名前だけを残している。

此方の正覚寺は昭和27年に正日蓮宗のお寺として建てられた。

慈悲如来は合戦で亡くなった僧侶や兵士を弔う為に建立されたそう。
そんな戦火に包まれたとは思えない、今は静かな住宅地です。
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