この記事は僕が京都大学に逆転合格するまでの話の後編になります。前編をお読みでない方は先にそちらを読んでいただけると幸いです。前編では僕の高校3年生の夏の模試成績を見てきました。前編をお読みの方は京大合格は非常に厳しい状態だったことが分かると思います。それでは、秋以降、僕が京大に合格するまでの話に移りたいと思います。
2学期も中盤に差し掛かり、次第に共通テスト模試を受ける機会が増えてきました。僕の学校では駿台ベネッセ共通テスト模試と河合塾の共通テストプレ模試を受けたので、その成績を載せたいと思います。共通テスト模試は科目数も多いので総合のみ掲載します。
第1回ベネッセ・駿台大学入学共通テスト模試
合計 841/1000 偏差値69.6 京大工学部(物理工) C判定
全統プレ共通テスト模試
合計 839/1000 偏差値71.4 京大工学部(物理工) A判定
ついにA判定を見ることが出来ました!(共テ模試であるのはさておき...)。このA判定が僕の人生で唯一見れた京大物工のA判定でした。これ以外にも6月頃に共テ模試は受けていましたが、僕は共テ模試の方は成績も良く判定も良く出ていたと思います。夏の模試であれだけ陥没していた数学も共テ模試なら1,2ミスで抑えることが出来ていました。人によって共テが苦手な人もいれば2次が苦手な人もいると思いますが、僕は完全に共テみたいな処理速度特化型でした。京大のような2次配点の比率が高い大学を受けるとなると2次が悪いのは良くないことですが、僕の場合は共テは社会(地理)と国語以外は大丈夫だろうという自信と結果があったのでギリギリまで2次の勉強に時間を費やせたことが2次での逆転につながったと思います。
11月、二度目の冠模試の季節がやってきました。駿台の京大実践の方は成績表を失くしてしまったのでオープンだけ載せます。
第2回京大入試オープン模試
英語 61/150 偏差値50.1
数学 87/100 偏差値56.3
国語 43/100 偏差値62.5
物理 54/100 偏差値53.3
化学 22/100 偏差値48.4
合計 328/800 偏差値55.1 京大工学部(物理工) C判定 京大工学部(理工化学) B判定
この模試は当時の完全に自信を失っていた自分にとって唯一の希望となった模試でした。ずっと取れなかった冠模試で物工C判定,そして当時の僕はもう半分物理工は諦めかけており、理工化学でも良いから京大に行きたいと思うようになっていました。そんな自分にとっては理工化学B判定も大きな救済となりました。さらにこの模試の良かったところは数学です。まだ合格することを考えたら足りない点数ではありますが、この模試では最後まで解き切って完答することのできた大問も増え、一番手応えを感じました。
僕が受験生活の中で受けた模試は以上となります。ここからはいよいよ入試本番へと進んでいきます。まず最初にやってきたのは1/18,19の共通テストです。僕は結局ギリギリまで2次の対策を続けていて、12月は共テの勉強と2次の勉強を半々くらいでやっていました。共テは主に国語,地理,情報の対策をしていました。なぜ情報を⁉ と思われる方もいるかと思いますが、これは京大工学部の共テの配点によるものです。2025年度から京大工学部は共通テスト配点を以下のように変更しました。
数学1A2B 25
英語R 25
英語L 25
国語 25
物理化学 25
地理 50
情報 50
計 225
これを見ればわかると思いますが、理系科目と国語の圧縮率は非常に低く(12.5%)、地理と情報は非常に高いです(50%)。そのため、情報の試験初年度でどのような難易度になるかもわかりませんでしたが、とりあえずやれることはやっておこうという精神で対策していました。地理は6~70点台から中々抜け出せず、地理に多くの時間を使っていました。国語は共テ模試でもずっと足を引っ張っていたので、配点は低いですが二次にもつながる古文の暗記を頑張っていました。
それでは共通テスト本番の話に移りましょう。実はこの共通テスト本番が僕の受験生活で一番の波乱でした。共通テスト前日は地理の勉強にほとんど全てを費やし、英語長文を軽く読んだり、リスニングをしたり、国語の暗記の部分の確認をして過ごしました。夜は10時にはベッドに入って眠っていました。しかし、共通テスト1日目当日の朝、目を覚ました僕は若干体調が悪い状態でした。かなり余裕をもって起きたので、1時間追加で眠ろうとしましたが緊張で眠れず体調に不安を感じながら共テ会場へと向かいました。共テ会場では受験生待機室があり、試験開始まで勉強することが出来たのですが、その時間中に、「あれっ、体調思ったよりやばいかも」と思い不安になりながらも共テを受験しました。1科目の地理の開始前、僕の頭の中は、緊張や点数のことなんかよりも体調のことでいっぱいでした。試験が開始してしばらくはしんどさに耐えながらもなんとか問題を解き進めていました。しかし、試験開始20分後僕はいよいよ限界だと感じ、手を挙げて試験室から退室しました。退室した瞬間、その場で嘔吐してしまい、僕は医務室に行くかと試験監督に尋ねられました。もう一度嘔吐してしまう恐れもある中で試験室に戻るのも申し訳ないとは思いましたが、ここで地理を受験しないと僕の受験物語は終了してしまいます。地理はまだ半分も解けておらず、このままだと京大の2次試験を受けることすら叶わなくなってしまいます。当時の僕はそのことを考え、試験室に戻る決断をしました。そこから20分の記憶はほとんどありません。退室していたのもあって時間もかなり厳しかったのでかなり急いで問題を解いていました。最終的に試験開始40分後頃になんとかすべての問題を解き切り、そのまま試験室を退室して医務室へと向かいました。そこから、しばらく医務室で休んでいたのですが、続く英語と国語というハードな2科目を受け切れる状態ではなく、僕は追試の申請を行いました。2日目は体調も良くなり、普通に受験できたのですが、1日目の途中で体調を崩し、1日目の残りの科目のみを追試申請するという特殊な事例は今までもほとんど無かったそうです。当時の高校の教師からも追試申請しても絶対無理だと思ってたと言われたくらいです。なんとかその日中に医師に診断書を書いてもらい、1週間後に阪大で追試を受けられることになり、無事全科目受け切れました。そんな波乱万丈な僕の共通テストの点数は以下の通りです。
数1A 72/100
数2B 91/100
国語 183/200
英R 93/100
英L 89/100
物理 85/100
化学 78/100
地理 72/100
情報 94/100
合計 859/1000
この年は化学が非常に難化したので、化学の点は正直仕方がないですが、数1Aが問題文の読み違いで大幅に時間ロスをしてしまい、理系科目は全体的に良くない結果となりました。ただ、追試で受けた英国のうち、特に国語が9割とれたので、全体でみたらぼちぼちの結果となっています。この年は共テが全体的に簡単だった年だったのに加え、京大工学部の配点変更もあったので、共テボーダーは大幅に上昇していました。共テリサーチは、河合や駿台の方がC判定,東進がD判定とかだったと思います。元々得意だった共テでリードすることが出来なかったのは残念ですが、C判定で五分五分なら迷うことなく京大に出願するつもりでした。
予定外に共テが1週間延びてしまったので、2次へかける時間が減っていしまい焦りを感じていましたが、逆に焦りのおかげで追試が終わってすぐ勉強へと切り替えられたので結果的には良かったかもしれません。
2月の始めには練習として同志社大学を受験しました。同志社の入試では特筆するような出来事はありませんでしたが、理系数学が難化していて、試験中に笑ってしまうほどだったのを覚えています。同志社入試の結果は...
英語 177/200
物理 112/150
数学 105/200
総合 394/550
で合格点+61点で合格できました。同志社の英語は比較的簡単なので取りこぼしなく高得点を取れたのは良かったです。物理も問題の難易度はそこまで高くないですが、現役生の多くが苦手な交流と原子が出題されても高得点を取れたのは自信につながりました。同志社は結局入学金を払わなく国立のみで戦うことにしたので、受験しただけにはなってしまいましたが、この試験から理科の自信を持てるようになったので、受けてよかったなと思っています。
それではいよいよ2/25,26の京大2次試験の話に移ります。僕は2月の頭に京都にある河合塾で京大プレという模試を受けていたので、試験4日前に京都入りし、下見をしたとき以外は河合塾の自習室を使わせてもらって最後の確認を行っていました。これだけは受験生の方々にお伝えしたいのですが、くれぐれも試験前日に受験校のある県へと移動するのは避けてください。自分の住んでいる県、あるいは近い県なら大丈夫かもしれませんが、長時間の移動をすると移動した日もそうですが、その次の日もかなり疲労が残り、眠い中試験を受ける羽目になるかもしれません。ギリギリまで勉強したい気持ちもわかりますが、これだけは守った方が良いと思います。試験直前はとにかく1度解いた問題の復習をしていました。数学はせか京の問題を見て解法を想起するということと数Ⅲの計算練習をひたすらやっていました。理科は一度解いた過去問や模試を解きなおしていました。これは復習にもなる上に、自分は前よりもできるようになっているという自信にもつながったのでぜひ入試直前期におすすめしたい勉強法です。英語も過去問の復習と、単語,英作文の表現の確認を行っていました。入試前日は、勉強はそこそこで切り上げ、疲労を次の日に残さないように早めにホテルで休んでいました。受験生応援のYouTubeとかも色々見てました。個人的にはもごさんの動画が一番勇気づけられたので、ぜひ見てみてください(2025年2月25日の少し前に上がった動画です)。
2月25日、勝負の日がやってきました。京大へと向かう道は同じく京大を受験するライバルで溢れており、百万遍の交差点を渡った先には毎年恒例の立て看板が多数見えました。1日目の1科目は国語でした。正直京大の国語は特に理系では差が付きづらいので国語だけはあまり緊張せずに望めました。ただ、時間切れになるのだけは怖かったので、いつもよりも早く解いていたと思います。国語の試験が終了し休憩時間となりました。これまた受験生には知っておいてほしいことですが、基本的に国公立大学はトイレの数が少ないです...。同支社では2~30個はあるんじゃないかと思ったトイレも京大では3個とかでした...。大学や試験場にもよるとは思いますが、やはりトイレはかなり混むので気をつけた方が良いです。あと、例えば試験時間が3時間の科目だとしても、入試本番では試験前の問題配布などでそれ以上の時間拘束される場合が多いので、トイレが心配な人は気を付けましょう。試験時間中にトイレに行くのは時間的に厳しいと思うので、入試当日はカフェインを摂取しないようにした方が良いです。実際に、京大の理科の試験時間は物理化学通しの3時間という長丁場ですが、それに加えて試験前に40分ほど席に座ったままでいるよう指示されたのでかなりトイレギリギリでした...。トイレの話はこのくらいにして、次は一つ目の山場である数学です。数学の試験前は教室の90%以上の受験生はせか京を見ていましたね。やはり京大受験生は絶対やるべき本だと思います。数学の試験開始後、まずは大問1に手をつけました。大問1は小問に分かれた計算問題で割とすんなりと解けて安心してました。続く大問2があの有名な答えが2025になる整数問題でしたが、最初に見たときはさっぱりだったので一旦飛ばしました。そのまま大問3へと進んでいったのですが、3,4,5,6と解けずに飛ばして1周してしまったのです。大問3は正直京大の問題としてはかなり簡単で、ただ計算するだけの絶対できなきゃいけない問題だったのですが、本番の緊張と焦りで一周目は解けませんでした。この時点でかなり焦っていて、頭に浪人の2文字がちらついていました。でも、当時の自分は本当に限界まで勉強をし、浪人なんて無理だと感じていたので、必死に食らいつきます。次に手を付けたのは大問3でした。解いている自分もこの問題は簡単な設問だとはわかっていましたが、だからこそ計算が合わないことに焦りを感じていました。大問3に多くの時間を費やしましたが、なんとか解き切ることができ、次に大問2に手をつけました。この1問が僕を京大に入れさせてくれた1問でした。僕が受験した年が2025年だったのもあり、何かしら2025関連の問題がでるのではないかということは言われていましたが、まさか答えが2025とは思いませんでした(笑)。「京大数学といえばmod3」これは京大受験生なら知っておかなければなりません。僕はこの解法に過去問でよく触れていたので二周目ではすんなりと解くことが出来ました。2025という数字が出てきたときは、答えだと確信して震えましたね(笑)。結局大問4,5,6は解き切れず部分点頼りだけど左半分はできただろうという状態で数学の試験は終了しました。1日目が終了した時点の僕は本当に五分五分のところで明日の理科次第だなと思っていました。
2月26日、試験2日目です。1科目の英語の試験も、理系科目とちがい英語は点数が安定するのであまり緊張はしませんでした。2025年の英語は比較的簡単で、特に英作が普段よりもかなり簡単だったと記憶しています。英語の試験が終わり、いよいよ最後の山場である理科の試験がやってきました。これまでの冠模試では理科はあまり良い成績を取れてはいませんでしたが、それ以外の模試の結果や学校の実力テスト、そして同志社入試を経て僕は理科に大きな自信と信頼を抱いていました。それでもやはり、理科はどの科目よりも1つのミスから雪崩れる可能性が高いので本当にミスが怖かったです。理科の試験が始まり、まずは得意の物理から解き始めました。大問1の力学は比較的解きやすく、難なく解き進めることができ、最後だけ解けずに飛ばして大問2へと移りました。ただ、この大問2が2025年の物理の泥沼ポイントでした。大問2はソレノイドコイルの話から始まる大問でしたが、受験生の中にはソレノイドコイルの公式で間違えたり、±や方向の記述が分かりづらく、ミスが多発した人も多かったでしょう。僕も何とか解き進めていきますが、答えの文字も多くてミスが起きそうだし、符号も間違えていそうで本当に自信の無い中、泣きそうになりながら解き進めました。大問3は普段通りの難易度で最後以外は大体解けていそうな感じでした。物理を解き終わり、化学の大問4に移りました。この年の大問4はいつもよりも解きづらく、大問3,4を得点源にしていた自分は大問4が解けず、焦りを感じていました。結局大問4は半分も解けず、大問3に移りました。大問3の有機はびっくりするほど簡単で10分ほどで解き切ることができました。過去問の中でも間違いなく一番簡単な年だったと思います。そして大問1,2の理論を解き進めました。時間も経過し、試験官が残り10分を告げました。その瞬間、周りの受験生の手の動かすスピードが上がり、みんなが最後の最後まで死ぬ気で問題を解いているのを肌身で感じました。自分もこの10分は無我夢中で一度飛ばした問題で解けるものはないかと解き続けました。その10分で僕が目を付けたのは最初にできなかった大問4でした。必死に考えるなかで、そのうちの1つを解くことができ、そのまま5問ほど勢いで解くことができ、5問目の答えを解答用紙に書いた瞬間、試験終了の合図がなりました。後で自己採点して分かったのですが、この5問はすべて正解していました。模試でもこんな経験はしたことが無かったので、本当に最後まであきらめないことは大事だなと実感しました。これにて、僕の京大2次試験は終了しました。あとは合格発表まで待つしかないのですが、ホテルに帰り夕食を食べた後、夜10時ころにはネットに理科の解答速報が上がっていました。速報を見るかはかなり迷いましたが、結局気になってみてしまいました。解答速報と自分の記憶とを照らし合わせながら自己採点した結果、泣きそうになりながら解いた物理の大問2を含め、物理は解いたところはすべて正解しており、理科は物理と化学の合計で8割くらい取れていそうだと分かりました!自己採後の自分は、まだミスがあるかもしれないけれど、飛び跳ねて喜んでいました。試験前よりもこの自己採後の方が興奮して眠れませんでした(笑)。
二次試験も終わり、自宅に帰ってからも合格発表まではそわそわして何もする気が起きませんでした。永遠と自分の予想点数と合格点予想とを照らし合わせながら合格を祈っていました。
3月10日 合格発表の日、僕は前期で合格していたら京都で部屋探しをし、落ちていたら神戸大学の後期日程を受験するために京都のホテルで発表を待ちました。例年3月の頭から国公立大学の合格発表が行われていくのですが、東京大学と京都大学はそのトリを飾るかのように3月10日12時に二校同時に発表されます。3月10日の朝、僕は緊張でいてもたってもいられず、ホテルを飛び出し、近くの神社まで散歩も兼ねて最後の神頼みをしに行きました。そんなこんなで時間がたち、12時を迎えました。同じ高校の友達の合否も出て、やはり多くの人が落ちていると聞き受験の厳しさを感じていた中、最も仲の良かった友達3人は無事に合格しており、LINEで僕の合格を応援していてくれました。12時になり、自分の受験番号を探し始めます。京大工学部は希望学科を2つまで書けるので、自分の受験番号の隣に合格した学科を表すアルファベットも書かれてあります。僕は物理工学科を第一志望に、理工化学科を第二志望としていました。自分の番号が近づき心臓の鼓動が高まり、最後は一気にスクロールしました。そこには自分の受験番号とCというアルファベット(物理工学科を示すものです)が書かれていました。僕はそのまま母親と抱き合って喜び、嬉しさで涙が止まりませんでした。そして、まずは応援してくれていた友達に合格を伝え、お世話になった塾の先生にも連絡しました。あの母親と合格を一緒に喜び、ずっと応援してくれていた友人や塾の先生に合格を伝えた瞬間は僕の人生で1番といってもいいほど嬉しい瞬間でした。こうして僕の京大受験の物語は終了しました。僕の入試本番の成績は以下のようなものでした。
国語 62/100
数学 79/200
理科 156/200
英語 97/150
二次試験の合計 483.83/800 総点 675.94点 [物理工学科の合格最低点は約665点]
やはり、理科が8割ほど取れていたのが本当に大きかったです。数学は結局大問3がミスっていて思ったよりも悪い点数でしたが、その分を理科でカバーできて良かったです。さらに国語も60点越えという高得点だったのが救いでした。もし国語が普段通りの点数なら物理工は落ちています。前編で掲載した夏の京大オープンの僕の点数は280/800だったので、夏から半年で200点伸ばせたということになります。
最後に次の受験生に向けてのお話をしたいと思います。先ほど言ったように僕は夏の京大オープンから二次試験までで200点伸ばすことが出来ましたが、これは主に理科の成長によるものです。皆さんもよく現役曲線という言葉を耳にするかと思います。その名の通り現役生は最後の最後まで伸びるという風に言われています。僕は、高3の夏の模試では勉強しても全然結果がついてこない状態でしたが、志望校を下げることもなく、最後まで諦めることのなかったので秋以降から一気に成績を伸ばすことが出来ました。この秋以降の理科の成長は普段の勉強の中でも自分で感じていました。それでは、なぜこんなに伸ばすことが出来たのか、その理由は①過去問を研究して京大に特化した勉強をしたから ②理科に自信を持つことができたから の2つだと思っています。
まず、①についてですが、僕はずっと理科の中でも化学に苦手意識を持っていました。そんな中で京大の化学には頻出の分野や得点源にできる分野があることが分かりました。それは有機,平衡,高分子です。これは京大志望の人ならわかると思います。このように、各大学でこの分野が出やすいということは多々あるかと思います。それに対して、傾向をただ知っているだけなのか、それとも傾向をもとにして勉強を組み立てるのか、これをするかしないかで大きな差がでると思います。頻出分野しかやらないのはだめですが、やはり時間も有限なので優先順位をつけて勉強するという意識は非常に大切だと思います。
そして、②についてですが、これが僕が1番伝えたいことになります。これは理科だけでなくすべての科目、そして受験全体を通して言えることだと思います。「自信をもつこと」これは、スポーツでは大事だとよく言われますが、勉強ではそこまで言われていないかと思います。しかし、自信を持つことは勉強においても非常に大切だと思っています。問題を解く際にも自分自身の解答に自信を持つこと、これはミスを減らすことにもつながりますし、自信をもって書く解答はより良い解答になりやすいと思います。当たり前ですが、自分にとって簡単な問題より難しい問題の方が、解答に自信は持てないでしょう。しかし、これまで努力してきた自分自身やその結果を示す模試の結果などから得る自信はそういった難しい問題に対する際にも自分に自信を持った良い解答を書かせてくれます。自分は模試の判定こそ散々でしたが、自分なら合格できると信じて勉強をし続けました。その時に自分の自信となったのは、高2以前の良かったころの模試です。過去の結果に縋るのは悪いイメージもありますが、それで自信を保てるならどんどん縋って良いと思います。でも、模試の結果が悪くて自信なんて持てないって人もいると思います。そういう人は日々の勉強の中で自分の成長に目を向けて自信に変えると良いと思います。入試直前に一度解いた過去問や模試を解きなおした話をしましたが、これこそまさに最適な方法だと思います。何度も言いますが自信を持つことは本当に大切なことです。
この記事を執筆しているのは10月ごろなのですが、受験生は一番しんどくなってくる時期ですね...。模試の結果が振るわなかったりで自信を失うこともあると思いますが、どうか最後まで諦めず、自分なら合格できるんだということを信じて最後まで走り抜けてください。この記事がこれからの受験生の力となることを願いまして締めくくらせていただきます。前編,後編合わせてとても長い文章になってしまいましたが、最後まで読んでいただきまして本当にありがとうございました。