七夕でんな〜🎋
5月。知らない090の番号からショートメールが何通か小分けに入りました。差出人は亡くなった父のいた会社の社長さんからでした。
「実は7月7日に会社が創立100周年となりパーティーがあります。酒井社長は1番会社が苦しい時に体を張って会社を守り存続させてくださいました。会社にはそのことを覚えている社員もたくさんおります。息子である酒井さんにビデオメッセージをお願いできないでしょうか?」
そんなご相談でした。有難い話だなとシミジミ空を見上げました。妻や母や妹にそのことをメールしながら気になったこと。〈父が体を張って〉の部分でした。
家庭と仕事を完全に分けていた父でした。なので工業高校卒で設計から入った人間が叩き上げでも上場企業のトップになるとは家族が思うわけもなく、
でも「あばれはっちゃく 」の子役時代に通勤ラッシュに揺られて何度か一緒だった時「サラリーマンは毎日こんなに鮨詰めの電車に乗って朝から晩まで働きまくっているのか」と驚愕し、
大人になったら父に勝ちたいと自分は思っていたので本能的に父のようにサラリーマンにはなれないし、なれたとしても到底及ばないと悟った記憶は今も残っています😊
先月の梅田芸術劇場。会社の皆さんとのスケジュールも合い、終演後にステージ上でメッセージを撮影しました。家庭での父の話をすると会社の方は驚き、会社での父の話を聞くと私が驚き、本当に楽しい時間を過ごさせていただきました。
朝起きても夜寝る時も家にいないけど寝てる間に帰ってきてて、とにかく仕事が好きで働きまくった父、亡くなった葬儀場の早朝、物音がしたので父のところに行くと会社が危機の時、父と対峙したファンドの方が数多の中、心に残る社長さんだったんですよとわざわざいらして私に話てくれたこと、通勤ラッシュを一緒に過ごしてくれた父、私のメッセージを撮影している社員さんの胸と手が震えていたこと、、
父は仕事と家庭を見事に切り離し共に存続繁栄させることに成功したわけです。純烈の言葉足らずのメロディの2番の歌詞は父のことを想い書きました。