気づけばいつも人と比べていました。
比較してあまりに辛くなってしまうので、
SNSを見る時間を減らしてみました。
それで少しは楽になったのですが、
同級生からステキな報告がラインで届くと、
「おめでとう!」と思う自分と、
「それに比べて私は。。。。」
と卑下する自分が瞬時に出てきて、
素直に喜べず、嫌だなー。。。
と思っていました。
もう一生このままなんだろうな![]()
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とあきらめていました。
でも、
やっぱりつらいから、
祈ってみよう![]()
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と思いました。
すると、
なんだか少しずつ楽になってきて、
彼とスーパーへ行き、
陽気なコジコジを見た瞬間、
あ!!
と閃きました。
比較するときは、
同じだと思っている!!!
と。
比較の前提は同じであると
気づいたんです。
思い起こせば、
私が一番比較に苦しんでいたのは
10代の頃でした。
なぜ10代の頃だったかといえば、
周りにいるのは
みんな同じ年齢の人たちだからです!!
同い年なのに、
なぜあの子は私より背が高いの?
同じ授業を受けたのに、
なぜあの子の方が成績がいいの?
同じ年なのに、
なぜあの子は才能にあふれてるの?
同じだからこそ、
比較しやすかったんだんです!
別の例をあげるなら
お野菜。
比較するとしたら、
同じ栄養素の部分を比べるなと思いました。
でも、
人参とブロッコリーはそもそも
別のものなので、
比べようもないなと
初めて思えました。
私が人と比べるとき、
「私とあなたは同じ人間」
という前提があることに
気づきました。
いや、
別の人間だよ。
全然違う人間だよ。
ただ違うんだよ。
と自分に言ってあげると、
相手と自分の区切りができて
楽になってきました。
そういえば、
私とあなたは違う。
という祈りがあったよなー。
何だったかなー。
あ!!!
ゲシュタルトの祈りだ!
ゲシュタルトの祈り
私はあなたの期待に応えるために、この世に生まれたのではない。
あなたも私の期待に応えるために、この世に生まれたのではない。
あなたはあなた、私は私。
もしふたり、心が通い合うことがあれば、それは素晴らしいこと。
けれどもし、わかり合えないままであっても、
それはそれで致し方のないこと。
ゲシュタルトの祈りで検索すると、
わかりやすく比較についてyoutubeで
お話してくださってた方がおられました。
祈りってすごい!
ゲシュタルトの祈りを唱えるだけでいいと
言われています。
↓
祈り、万歳![]()
私はずっと、
あなたも私も同じ。
というワンネス体験みたいなことが起これば、
比較も消えるだろうと思っていましたが、
勘違いでした。
ただ違う。
と見るだけでした。
そうすれば、
比べようもなかったのです。
なんだか比較について
はじめて楽になったのでした。




