こんばんは(^ ^)

自粛な日々が約1か月。

昨日は新月ということで、気持ちも新たに家中をそうじしてみました。

気持ちよい♪

さて、今回はわたしの得意なマニアックな話です。

トランペットを吹いてきて25年ぐらい経ちました。

10代、20代、30代と、楽器吹く時のフォームや感じ方も変わってきているのは確かなことですが、

30代の間、ずっと悩まされてきたことがありました。

それは、

演奏中に左手のチカラが抜けてしまうこと。

元を辿っていくと、

確か30代になったばかりに起こりました。

いきなり左手が震え出した。

カラダの自由が無くなってしまった。

演奏中だけ。

いわゆる

フォーカルジストニアというものでしょう。


今思えば、その時抱えていたメンタルの問題から来ていたようにも思えますが、

実はもっともっと昔からの根強いものがあると、何となくは感じてました。

30代のはじめ、発症したときは震えがあって

そのあと徐々に震えはなくなり、

最近はチカラが抜けてしまう→入らない

という状態になっていた。


なんとなくだけど、

もう、このやり方は限界なんだ。気づいて!

と、もう1人の自分が訴えているような気がしてきていて、

もっと音楽を表現したい気持ちのほうとは裏腹に、カラダがいうことを聞かなくなっていた。


それでも、自分をごまかしごまかしやり続けてきたけど、

ライブや本番のとき、またリハーサルのときでも、

いつカラダのチカラが抜けてしまうかが怖かった。

でも、人間不思議なもので、

その恐怖がある限界までいくと、

そんなものには負けてられない。

という気持ちが芽生えてくるものだ。

そして、そんなときには自分のアンテナが作動したからか、

不思議と自分と似た境遇にいるプレーヤーさんの記事が目に留まったりして。

その人の音楽はわたしには自由そのものに聴こえていた。

いいなぁ自由に表現できて...と思っていた。

でも実は、

その人は、ジストニアと戦いながら、その辛さも糧にして音楽を表現し続けてられること。

それを知ったときは感動で涙が出た。


そんなこんな時期があって、

わたしは少し心の在り方が変わったように思う。

最近はお家で楽器を吹くことが、自分と向き合う大切な時間になっている。

日によってはカラダのバランスが合わずで、バラバラになっているように感じる日もあったりするけど、

そんなときは、

カラダが何かを教えてくれている。

と考えるようにしている。

そんな中で、最近ふと思いついたのがコレ。


どう見ても、ナゾ過ぎる物体ですね

最近流行りの、おゆまるというお湯で簡単に好きな形にできるレジンの存在を知り、自分の手に合わせて作ってみたかたまりです。


かたまり→プロテクターと呼ぼうかな


わたしの場合、カラダの緊張があったり、バランスが合わないと楽器を支える左手のチカラが抜ける。

元々小さすぎるわたしの手のひら。

楽器を支えるのも精一杯。

なので、

この物体を左手に握ってからトランペットを持つと、

手のひらとトランペットの隙間がなくなるのだ。

そうすると、

ほんの少しだけど、安心して楽器にチカラを委ねられるような気がする。

これでジストニアの症状がまるっきり解消されるわけではないけど、

これからも、

この自分のカラダを信じて、

自分の出来ることで表現していきたい。

と思う、この頃です。


いやーーーでも、ここに至るまでは、

本当にいろんな療法や、カラダの使い方、なんでもやってみたなぁ...

30代は、ひたすらに自分のカラダの追求をしてきたように思う。

そんなわたしも、気づけばもう40歳目前

カラダのチカラが抜けてどうもこうもならいない状態になっていたこと。

これもひとつの通過儀礼だったのかもしれない。