もくもくケンケンの平野目線で振り返ろう順風の7年その① | 順風男女オフィシャルブログ

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故林広志と若手俳優によるコントユニット「順風男女」
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みなさん、こんばんは。

いつも順風男女オフィシャルブログをご覧いただきましてありがとうございます。

もくもくケンケンのお時間です。

順風初出演時の平野です。

 

次回公演の情報が追加公開されました!

福岡公演に関してもちょっとずつですが情報を公開してますので、まだチェックされていない方は是非よろしくお願いします。

 

★順風男女オフィシャルHPはコチラから

 

さて、

今回の公演は7周年記念ということで、

順風男女7年の歩みを平野目線で振り返っていきたいと思います。

 

今週は結成された2010年!と思ったのですが、平野が順風男女の入団したのは順風男女結成2年目。ですので、当時の詳しいことは実際よくわかりません。先輩たちにちゃんと取材をするなりして、また日を改めます。

 

というわけで、平野が順風男女に所属することになった経緯を振り返ってみようと思います。

 

当時21歳の大学生だった平野は、

座・高円寺で開催された、

井上ひさしさんの追悼イベント(主催はケラリーノ・サンドロヴィッチさん)を友達と見に行きました。

そして、何のツテもないのに打ち上げに勝手に参加。

更に、イベントの出演者側で全くの初対面だったペンギンプルペイルパイルズ主催の倉持裕さんに話しかけに行ったのでした。

 

大学卒業後の進路を「舞台を生涯かけてやっていく!」と決めた直後だったため、「ここでつながりを作らなきゃ!」と、異常に気合が入っていたのを覚えております。関係者の皆さんご迷惑をおかけしました・・・。

 

さて、その現場に偶然居合わせたのが、順風男女の発起人・故林さんです。

故林さん曰く「倉持くんのところの演出助手の人だと思ってた」らしいです。

 当時、自分から話しかけたくせにど緊張しており、更にその緊張をお酒の勢いでなんとかしようとしたため、もはやあんまり記憶がないのですが、

とにかく、故林さんが主宰するワークショップがあるということ、そして故林さんのご連絡先を教えていただきました。

 

そして僕は故林さんの主宰する『憂のワークショップ』に参加することになったのです。

 

 そして数ヶ月後、故林さんのワークショップにゲストとしてやってきたのが「順風男女」のメンバー(匁さんとマミさん)でした。順風男女は一年上の憂いのワークショップから派生したユニット、と紹介されました。

 そのように順風男女の存在を知った僕はすぐさま、インターネットで順風男女を検索、たった今自分で更新している「順風男女オフィシャルブログ」をブックマークし、そしてTwitterで順風男女を検索したところ唯一ヒットした英里さんを無言でフォローし動向を伺っておりました。

「故林さんが手がけているこの団体に出たい・・・!」

と、ほぼ毎日ブログを見ていましたが、『出演者募集!』といった文言はなかなか現れず、英里さんの「今日ネイルサロンに行きました♪」みたいなツイートを見る毎日…そしてついに、出演者オーディションの文字が!

 喜び勇んですぐさま応募。

出演者オーディションに挑みました。

オーディション当日もめっちゃ緊張して挑んだのですが、

受付をしていたマミさんに、なぜかいきなりフェイスシートをぺラで渡され、

「あ、ありがとうございます」と受け取ると「わ、受け取ってくれた!いい人や!」と言われました。

 

(意味がよくわからなかったので数年後マミさんに、「あれ、なんだったんですか?」って聞いたら「全然、全く覚えておりません」とのことでした。だと思いました。)

 

程なくして

「じゃ、始めましょうか」と足立さんが動き出しました。

 

僕は「こ、この人が・・・順風男女の、本体・・・」と思ったのを鮮明に覚えています。あと足立さんが当時きていたポロシャツに「COW RIDER」って書いてあったのも覚えています。

 

晴れて、オーディションに合格。

町田の知る人ぞ知る居酒屋「メガネ道場」で飲んでいるときに、合格のメールがありました。

 

そして、まぁそれはそれは、初めてだらけで、楽しい楽しい順風男子公演の稽古が始まったのです!!

 

当時、匁さんがよく飲みに連れて行ってくれました。

演技面で不安だらけの僕を気遣って、飲み屋でも稽古をしてくれました。

稽古がオフのとある日、匁さんから

バナナマンの新作DVDあるから、今度平野くんちで一緒にお酒飲みながら見ようよ!

と言われました。僕は「おや・・・?」と思いました。

 

当時匁さんは、今の僕よりも年上です。

順風男子公演の稽古中、正確に言うと平野は「客演」という立場でして、劇団員ではなかったのです。

 

そんな、ただの学生の家でいきなり宅飲みする?それも2人で?

 

その時期からすでに匁さんは、「匁ちゃんはゲイだから」みたいなイジられ方をされておりまして

本人は「ゲイじゃねーわ!」と突っ込んでいました。

 

しかし、付き合いが浅い僕には、疑惑を拭うことができません。

 

そんな折、突然、宅飲みの誘い。

しかもどうやら泊まりっぽい。

 

でも、よく面倒を見てくれる匁さんの誘いを断ることは気が引けました。

結構な年上の先輩に、おいそれと「匁山さんて本当にゲイなんですか?」と聞くこともできません。

 

そして、宅飲み当日。

匁さんを最寄り駅まで迎えに行く道すがら、

「もし、本当に身体を求められたらちゃんと断ろう。匁さんを傷つけてしまうかもしれないけど、はっきり言うのがお互いのためだ」と心に決めたのでした。

その夜は戦々恐々としていたせいか、お酒を飲んでも酔いもせず、大好きなはずのバナナマンのライブDVDを見てもクスリとも笑わず、

匁さんが先に寝るのを待ってから寝ました。

21歳の平野のかわいそうな一夏でした。

 

 

無事に本番が終わった後(この文脈で『本番』って語弊ありますね

僕は順風男女に入団のお誘いをいただき、今に至るというわけです。

いやぁ振り返ると、意外と覚えているものですね。

懐かしいです。匁さんがゲイかどうか、真相は謎のままです。

 

来週からは、

順風男女公演2011ペアルック、からダーッと振り返ってみようと思います。

 

ご拝読ありがとうございました。