選挙が終わった。
民の審判である。僕個人としては、特別な文句はない。
ただ、結果がどうのこうの、という前に...なんでこう、みんなで同じところへ動こうとするの?それがものすごく不思議だ。
日本を変えよう、という前に、まず変わらなきゃいけなかったのは日本人だったのでは?
さて、最近、世間を騒がせているもうひとつのパーティのお話を。
彼女が逮捕されたニュースを聞いてから、4年ぶりくらいで、石丸元章さんの本「SPEED スピード」、「アフタースピード 留置所→拘置所→裁判所」を読み直してみた。
不謹慎だといわれようが、この二冊は何回読んでもホントにおもしろいね!
覚せい剤で ‘パキーッ!’ とテンパった興奮をポップに表現したピカレスクな自叙伝「スピード」、逮捕されてからの獄中生活を前作とはうって変わったシニカルで落ち着いた文体でつづった...続編の「アフタースピード」。両極端なタッチで書かれたこの二冊が同じルポライターの手によるものなのが信じられない。
ご存知の方も多いと思うけど、もう15年近く前の本である。初めて名前を聞いた、という方のために....
石丸元章さんは、北朝鮮に乗り込んだルポ「平壌ハイ」や、第二次世界大戦中の日本の神風特攻隊員に取材した「神風 KAMIKAZE」などのドキュメンタリーを書いたノンフィクション作家だ。
もともとは「Hotdog Press」や「GORO」「Popteen」といった雑誌(僕の世代にはなんともなつかしい!)
などにサブカルチャーの記事を書いたり、ラジオのDJをやっていたひとでもある。
でも、やっぱり代表作は「スピード」と「アフタースピード」である。
12年くらい前、はじめて「スピード」の単行本を読んだときの衝撃は忘れられない。
僕はセフレのひとりから「読んでみ~♪」とすすめられて手にしたのだったが、使用法や効能が細かく書かれたディティールにびっくりしたし(こんなん載っけて許されるの?!)自分の気持ちや欲望をこれほど色彩豊かに、ぶっちゃけて表現した文章にはお目にかかったこともなかった(そして、以後もお目にかかってはいない)。
ご本人は、自分の体験が思ったとおりに描写できなかったと仕上がりに不満を述べているけれども、今でもかなり毒の強い、’読むクスリ’であることに変わりはない。
もちろん、2009年の今なら….ネットは言うにおよばず、本屋でも ’違法ドラッグ’ についてのノウハウ本は簡単に手に入る…「使用に関しては自己責任でお願いします、もし、あなたが薬物におぼれても本書は一切関知しません」みたいな但し書きつきで。
ズルいよな、そんな意気地なしの活字屋ならば、最初っからぎょうぎょうしいアウトロー本なんか、金儲けのために出版するな、と言いたくなる。まったくあさましい奴らだ。
ま、今回の薬物騒動で出版規制制度が強化されそうな気がして、そういう形での統制や検閲がはびこることは、それはそれで困ったことですが。
石丸さんは、本が初版された1990年半ばから一貫して自分に対する言いわけをしていない。
逮捕されて、裁判で執行猶予がついたときも「更生します。これからの人生は立派に立ち直ってみせます」
というキレイごとを口にはしなかった。
裁判で有利な方向に働かせるためにシオらしい弁解を言うことはあっても、それは自分の罪を軽くするためだった、こんなタイクツな牢獄の中で長い人生を過ごすなんてまっぴらゴメンだ、とおどけてみせる。
薬物問題を扱ったテレビ番組で
「今の時代に生まれた子供たちは生まれたときからドラッグがはびこった社会で暮らしているわけですが、そうした現状をどう思われますか?」と’先輩’としての意見を求められると「うらやましいと思います」と答え、ひんしゅくを買ってインタビューをボツにされたりもしている。
薬物依存による精神疾患とそのリハビリ過程での地獄の苦しみを味わったので、今はクスリを使う気にはなれない。でも、将来も絶対ない、とは言い切らない。仕方ないだろ、先のことなんて誰にも分からないんだぜ、とつぶやく。
人間なんて…いままでの自分を変えること….そう簡単に変えることなんてできやしない。だからみんなが…世界中の人たちがそのことで毎日悩んでいるんでしょ。
ノーテンキを装ってはいるが、大胆に自分自身をさらけ出した石丸さんは、繊細な人だと思う。
自分の非行を自慢する馬鹿者とか、好き勝手なことを書きなぐる恥知らず、という評価をされることも多いが、僕はここまであっぱれなカミングアウトを他には知らない。
たとえそれが、クスリでとびきりハイになっ頭で書かれた当時のものだとしても、そういう体験をすることが、たくさん存在しているドラッグの真実のうちのひとつなのだろう。
開き直ったから怖いものなしになったのではなくて、今でも自分にとって本当に怖いものは語りたくない、と言い切り口を閉ざす。自分の気の弱さやコンプレックスをきちんと認識している。酔っ払いの勘違い男がたわごとを言っていたわけではないのだ。
若者が麻薬で摘発されるとき、その押収物のなかに「スピード」の文庫本が含まれている、という話はよく聞く。そういう意味できっと’危険’な本、なんだろう。
でも、’ちょっと手を出しただけで、薬物ってなんですごく重い罰則が課せられるの?’ ’体験がないので、そのあたりがぴんとこない’ という人は多いのではないか。
ガンギマリのオペラみたい♪な前半を過ぎたあたりで、だんだん景色が変わってくる。後半まで読み進めていくうち、地獄というものがどういうところなのかがちょっとずつ見えてくる。
クスリに狂っていく自分をどうにも止めることのできない石丸さんの恐怖感が、金属でえぐったように皮膚の中にギリギリ食い込んでくる。リアルすぎる描写ゆえに、よくできた小説だとも思えてしまう。
でも、この本がヤクに体を張った実体験に基づいたひとりの男のノンフィクションだとしたら、そこから見えてくるのは、幸福(ハッピー)と破滅(デストラクション)は、実は一枚の薄っぺらい紙の裏表で隔てられているにすぎないのかもしれない、ということだ。
「世界は凄まじい物語が書かれている一冊の本だ。その物語は風という原稿用紙に書かれているから、読み取れない奴には分からない....ここにも、あそこにも、物語は常に書き続けられている。君らによってだ」
「歴史の教科書にあるのは活字だけだ。本当の出来事や興奮は教科書にはプリントできないさ。
退屈ならば教科書なんか捨てちまって、街を徘徊すればいい。自分の歴史を作ればいいじゃないか。
オマエの歴史は歴史の教科書よりずっと素敵だよ」
「ドラッグってのはきわめて個人的な物語である。その物語を万人が受け入れるようにはできないし、本当の意味では自分以外の誰ひとりにだってその物語は伝わりはしない。
かといって、誰かに気に入られるように話を書き換えてはいけない」
「スピードもLSDもコカインも今はいらない。
安定剤すら今は飲みたくない。 一人っきりの部屋で机に向かう作業はもうやめにして、拳闘ジムに通ったり、ラジオのDJとしてマイク に向かってがなったりすることをもう一度楽しみたいんだ」
(「スピード」より抜粋)
現在、雑誌「Sabra」(小学館)で、石丸さんはコラムを連載している。そして発売中の最新号(10月号)の中で、酒井法子の今回の事件について触れている。
彼は‘のりピーは芸能人としては終わってしまったが、あとは彼女がこの先の人生をどう生きるかだ’というニュートラルなコメントを出している。だがそれよりも興味深かったのは、薬物事件に関する社会的な認識の質が、日本と欧米ではかなり異なるという指摘だった。
日本では、薬物事件を起こした人間は反社会的な行為に手を出した犯罪者として「責任を取れ!」と世間から追放される。有名人なのに、ましてや子供がいるのに薬物におぼれるなんてもってのほか、許されることではない、というコメントは、僕が目にする限り、どの雑誌や新聞、ウエブでもほぼ一致している。
なんでこう、みんなで同じところへ動きたがるの?
外国では事情が異なる。薬物依存の問題はあくまで個人的な’依存性の問題’ として受け止められ、そこから社会全体が問題をどう扱っていくべきなのかというアプローチが構築されていくのだという。だから、アメリカやヨーロッパなどでは、今回の騒動について「彼女にはまず治療が必要だね」という見方がなされているのだそうだ。
犯罪者のレッテルを貼られ、社会から隔離追放されるのを恐れたドラッグユーザーが、表に現れて真実を語りにくい環境が生み出される。そのことが、この問題をますます複雑で根深いものにしている…という事実に、はたしてどれくらいの人間が気がついているか…それは分からない。
僕は、なぜのりピーが覚せい剤におぼれたのか、明確な答えを知らないし、それは知らなくていいことだと思っているが、彼女を転落者とか落伍者だと思いたくはない。
だって僕も他の誰かさんから自分のことを失敗者だって思われたくないし、自分自身のこともそうは思いこみたくないからだ。
これから彼女が一生かけて背負うことになるだろうスティグマの深さは、HIV陽性者である僕にしたところで完全な理解はできないかもしれない。
それでも、パーティの乱痴気騒ぎの酔いが醒めたのりピーの…いまの胸のうちを想像することはできるし、それは僕のような人間だから、少しだけでも感じられることなんじゃないか、とは思っている。
ところで.....
薬物依存から抜け出すために150kgのベンチプレスを上げるボディビルダーとして、自分の肉体を改造したこともあるという石丸さん。リハビリ中に結婚した奥さんとは離婚し...初版から約15年後の今は、お子さんの弁当づくりに勤しむ立派なパパになっているらしい。
酒井容疑者の逮捕が報じられた8月9日は、奇しくも石丸さんの44回目の誕生日。
友人からその偶然について「おめでとう!」と言われ、「縁起でもない」とサラリと返したという。
辛口のジョークだが、僕にはそれがいかにも石丸さんらしくって、ああ、このニイちゃん、変わってないなあ~、とニヤリとした。
いつか、のりピーにも笑顔が取り戻せる日が来たらいい。
今は、そう思います。