寒い朝は空気が澄んでいて、見上げるとそこには大きな高い鉄塔がまるで描かれているかのようにそびえ立っている。


どうやって、この電線をこちらから、向こうの方まで張ったのだろうか。十数本と張られた電線は、お互いの距離感をためらうことなく保ったままピンと直線をきざんでおり、それは下にあるそれら、いわゆる電柱から出ているそのたるんだ電線たちに、電線とは、こうあるべきだと教えんばかりの見事な張り具合なのである。私は、それをただ歩きながら見ていた。いや、見ながら電線の張り方をあれこれと想像することについ時間が奪われていたのである。


  想像上には沢山の人物や機材が持ち込まれ、かなりの人数で大きな声であーだこーだの作業が行われている。もう、それは、お祭り騒ぎのような、そんな光景にすら見えるのである。こんなに大変な作業は実は一大イベントであったに違いない。一体どれくらいの人がその電線を張るイベントをみることができたのだろうか。いや、違う。これは、人がいたのでは、危なくて仕方がない。細く見える電線は、案外太くて、そして、重いだろうことは、素人の私にだってわかる。これを張り巡らすのに、下に人、いや、家だってなかったのかもしれない。そうだ、まだ、誰も住んでいないころに、ここに鉄塔は建てられたのかもしれない。それならば、私のどうやって?の、疑問にますます納得できる答えが見つかりそうなのである。しかし、朝の忙しい時にいつまでも、そのような想像をしていても、仕方がないわけで、私はふと我に返り、職場への道を歩く速度を速めた。
名残り惜しく、もう1枚写真に収めた。それにしても、見事な張り具合だ。なぜ、毎日歩いているこの道で、今日の今日まで気づかなかったのだろうか。鉄塔というのは、そんな存在なのかもしれない。もはや、当たり前にある景色だ。結局、今日はこの
鉄塔のことが気になり、スキマ時間に電線の張り方を調べまくった1日だったが、夜、家に帰って、息子のテニスの話をきいていると、もう鉄塔のことなんてどうでもよくなっていた。やはり、鉄塔っていうのは、そういう存在なのだろうと、思った笑笑😁      おしまい。